2023年映画感想No.25:Winny ※ネタバレあり
物語内の対立を通じて問い直される「正しさ」
TOHOシネマズ日比谷にて鑑賞。
Winnyやそれを巡る騒動については本当に記憶の片隅という程度の知識だったのだけど、いかに当時のネット環境において先見性のあるサービスであったかや、だからこそその可能性を理解できない体制側によって悪用への見せしめとして「出る杭は打たれる」が如く開発そのものが否定されたかがわかりやすく描かれている物語だった。
新しいものを作ることを悪とする体制側とその権利を守ろうとする弁護団側の対立にははっきりとした善悪の構図があり、なぜ金子氏が正しいのか、原告側の主張がどれほど無茶苦茶かが「こういうことですよ」という作中の説明によって観ている観客にも理解しやすく描写されているのが良かった。
だからこそこの裁判を結果が日本の技術者たちの将来を分ける重たい一線であることを観客も理解しながら観る。社会秩序を守るはずの警察側が掲げる正義と一人の技術者の生み出す公益性のどちらがより良い社会に繋がるのかという一つの裁判の背後には大きな権力が小さな個人を弾圧する日本社会の歪んだ「正しさ」への問い直しがあり、残念なことにその歪みはこの映画が公開された2023年にも未だ大きな問題として残り続けている。
映し出される体制の腐敗
法廷劇としても見応えのある作品なのだけど、「最終的には無罪になりました」という金子氏を巡る裁判を通じて描こうとしているのはその結論によるカタルシスやハッピーエンドではなく、最初から何も悪いことをしていない人物がかけがえのない時間や尊厳を奪われる不条理を生み出す腐敗した体制の在り方を映し出すことにある。
それを際立たせているのがWinny事件と並行して描かれる警察裏金問題の告発パートで、権力が既得権益化していて市民のために正義が為されない警察の腐敗した構造がより立体的に徹底して描かれている。
警察の裏金を告発する仙波巡査部長の事態も中々に救いのないことになっていくのだけれど、どんどんと追い詰められる過程やそこからの一発逆転の展開がそのままWinny事件本筋の裁判で起きていることへの皮肉な解答になっていく構成が上手い。警察の悪事がWinnyによって暴かれることでツールとしての有効性が証明されるのが痛快だし、正義のために裏金の告発をする仙波が身の危険を案じていく場面では告発における匿名性の必要性が逆説されている。
力無き者たちにとって必要なものとしてWinnyが描かれている事が、体制に抑圧される小さな個人という裁判の構図をより象徴的にしているようにも感じる。
金子氏の純粋な良心
初めて何者かになれた幼少期の原体験のままにプログラムに打ち込む金子勇氏の素朴な善意が他意のないシンプルなものとして徹底して描かれている。金子氏は冒頭に供述書を書かされる場面から「後から訂正できるかどうか」を確認するのだけど、それはトライアンドエラーでより良いプログラムを作り込んでいくプログラマー的な思考を示しているようにも思える。同時にそこには利用する人の良心を前提に「システム」を信用するというプログラマー的価値観と、結論ありきで真実とは異なる既成事実を生み出すために利用される制度の在り方という映画全体の価値観の対立を示唆する構図もきちんと織り込まれている。
「こんなものがあったらいい」と思うから新しいものを作り、それによって孤独なワンルームから世界と接続している人物だということがしっかりと伝わってくるファーストシーンも印象に残る。暗い部屋の中で文字通り「ウィンドウ」としてのモニターを通じてインターネットという宇宙に接続する金子氏の生の実感が、繰り返し用いられる窓と星空という象徴的なモチーフによって映画的に伝わってくる。
魅力的な登場人物たち
一方で金子氏が中々の社会不適合者として描かれているのも面白くて、奇しくも裁判を通じて人とのコミュニケーションを取り戻していくような物語にもなっているのも興味深かった。三浦貴大演じる弁護士の壇をはじめとする弁護士団と絆が生まれていくのだけど、望んでいたきっかけではないにしろありのままの自分を理解してくれる相手との初めての交流だからこそ心を許していくような関係が描かれる。
浮世離れした東出くんの存在感が浮世離れした金子氏の在り方にものすごくハマっていて良かった。千鳥がモニタリングしてたら「ちょっと待て!」ボタン押しまくるタイプの人なのだけど、そこがどうにも憎めなくて物語が進むほどに好きになってしまう。
弁護団の人たちもみんな魅力的で素晴らしかったのだけど、特に吹越満がとても良かった。寛容さから来る余裕とユーモアや感情で会話をしない論理的思考こそが弁護士としての優秀さであると同時に弱き者を助ける人間の資質そのものとして描いている点が素晴らしかった。ミスしてしまった味方を責めずにアドバイスした上で実践してみせる一連の流れには痺れた。ボデーを透明にされそうになるおじさんの印象が強かったのでかっこいい役が新鮮だった。
金子氏というかけがえない存在を見つめる意味
金子氏は「Winnyとは何なのか」を定義する裁判を通じて「自分は何のためにプログラムをしていたのか」ということを自覚していくようでもあり、それがはっきりしていくほどに「やっぱりこの能力や情熱を使えないままにしてはいけない」という気持ちにさせられる。
だからこそラストに待っている有罪判決はとても重たい意味を持つし、後に無罪となったことに救いとしての意味を託さない描き方にも必然性が感じられた。金子氏が技術者として過ごせた時間はあまりにも少なかった事がエンドロールの前にテロップで示されるのだけど、実際の金子氏本人の映像が流れるエンドロールでは素朴な人柄が際立てる失われた時間の切なさと共に「これを繰り返してはいけない」という作り手の真摯なメッセージが重なってずしんと重たい余韻が残る。
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