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2024年映画感想No.20 ソウルの春(原題『12.12: The Day』) ※ネタバレあり

毎回感心する韓国映画の文化的成熟度の高さ

ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。
独裁政権だったパク・ヒョンヒ大統領の発足から暗殺まで、全斗煥(チョン・ドファン)の軍事クーデターによる新軍部政権発足から光州事件に代表される民主化運動への武力弾圧など、自国近代史の負の歴史をちゃんと映画にできるところが韓国映画界の本当に素晴らしいところだと思う。ちゃんとお金をかけて広い射程を持つ高水準な作品が作られ、そこにちゃんとお客さんが集まる。そうやって映画を通じて「二度と起こさないために」という自戒が繰り返されている。起きた出来事は取り返しがつかないからこそ何度も真摯に問い続けるところまで、本当に文化として成熟していると思う。
民族的な負の歴史や政治腐敗を省みれないどころかどんどん正当化しようとしている日本は、その分野では正直足元にも及ばないと思う。

「終わりの始まり」を描くファーストシーン

大統領暗殺が韓国軍に知らされる冒頭の場面から組織が不安定化する予感が演出されていてグッと引き込まれる。軍人たちが待つ地下階の奥へとグイグイ入り込んでいくようなカメラワークが「なんかただごとじゃないことが起きたっぽい」という緊張が広がる様子の演出として見事だったし、タメにタメたところから一言でズバッと「終わりの始まり」的な事実が告げられるのも切れ味鋭くてゾクっとした。
内へ、内へというカメラワークはそのままこの映画で起きる分断の本質を表しているようでもあり、後に対極に分裂していくファン・ジョンミンとチョン・ウソンが同じ場所にいた最後の瞬間だと思うと運命の分岐点としての場面の重たさをより強めている。

対照的なキャラクターの配置

ファン・ジョンミン演じる政治的に超ギラギラなチョン・ドゥグァンとチョン・ウソン演じる政治に全く興味がない有能な将軍のイ・テシンという対極な二人を手際良く見せていく序盤の描写も良かった。
面白いのは二人が最初から全然対等に見えない描かれ方になってるところで、イ・テシンが無欲で硬派な信頼感のあるリーダーという感じで描かれているのに対して、チョン・ドゥグァンはスピーチを一人で考えられないし下の人間に高圧的だし欲望丸出しで信用が無いしと、とにかく小物でカリスマ性がない。さらにクールな佇まいのイ・テシンに対してチョン・ドゥグァンは猫背でハゲ散らかしているとあって「見た目も人間性も完敗!」という構図から話が始まるのが新鮮だった。
ただ、観ている観客がこのチョン・ドゥグァンをただの小物と割り切れないところにファン・ジョンミンのキャスティングが効いている。割と最初から全然ダメダメなのだけどそれでもなんか怖いし目が離せないのは彼が演じているからこそというのが大きい。

「一夜もの」らしくエスカレートしていく極限状況

中盤以降は韓国新軍部政権突入の転換期となる一夜を緊張感たっぷりに描く。一晩という一続きの時間の流れを描き切る構成がとても映画的で、時間経過と共にもりもりエスカレートしていく状況の怖さや「たった一晩で全てが変わってしまった」という取り返しのつかなさを際立てている。
キム・ソンス監督は前作の『アシュラ』で狂気の沙汰に近いテンションのバイオレンスを描いていたけれど、本作のほぼ熱量だけの悪役に声の大きさだけで主導権を取られていく冗談みたいな展開にも近い手触りを感じた。野心に忠実すぎて判断力がぶっ壊れている悪役の躊躇の無い決断力が、及び腰の中肉中背な人たちをどんどんと飲み込んでいく。
その異常さは加速度的なテンポと熱量という形で物語に強力な推進力を生んでいると思う。どんどん緊迫していく状況から目が離せない一方で、その息つく暇のなさがまさにこの夜の恐ろしさの本質でもある。

「能動性」という力学と「何もしない人たち」の存在

チョン・ドゥグァン側の企てが「予定ではこういう計画です」みたいな話をしてる段階から「そんな上手くいくわけなくね?」って感じなのだけど、しっかりその通りに上手くいかないので逆にびっくりする。計画が破綻して暴力に訴えるまでがこっちの想定より200倍くらい早くて、早々に一線を越えてしまう。「どう考えてもチョン・ドゥグァンに問題がある」という明らかな状況があるのに軍の人間がずっと逮捕に消極的なのでずっと「何やってんだこいつら」という気持ちでもどかしさを共有させられてしまう。
観終わると食い止められたクーデターという印象が残るだけに、「なぜ止められなかったのか」という悔いの残る余韻に後世への教訓を託しているように思う。チョン・ドゥグァンは清々しいくらい野心のために手段を選ばない。基本的に作戦はずっと失敗しているのだけど、負けないために後戻りができないカードをバンバン切る捨て身の決断力がある。その行き当たりばったり加減を最初は無茶苦茶だと気楽に観ていたのだけど、それがあれよあれよと大きな流れになってしまうのが怖い。予告編にもあるチョン・ドゥグァンの「人間という生き物は強いものに導かれたいと思っているんだ」って言葉、この映画観て思い返すとゾッとする重みがある。
一方で映画内で状況を食い止めようとしている人間はみんな行動する。現場に残り、体を張ることが物事を阻止しようとする覚悟の表れになっている。それが何もしなかった人たちとの対比になっていると思う。
完全にこっちの情報処理が追いつかない速さでいろんな人や部隊が次々と登場する特徴的な語り口も印象に残る。あんまりにも矢継ぎ早なので誰が誰だかさっぱりという感じだし、場所の名前とか役職とかいちいちテロップを出されても情報量が多くて全然覚えきれないのだけど、実際に映画内で重要な情報は意外と多くない。だからこそ逆にこれだけたくさんの人が関わっているのに動き出した流れを止められないということや、複雑化した組織の脆さみたいなものが皮肉として浮かび上がるように感じた。

映画として示す正しさの矜持

ラストのイ・テシンとチョン・ドゥグァンの対比も見事。この夜に敗れたイ・テシンがチョンの目の前まで歩み寄って「軍人としても国民としてもお前は失格だ」と真っ直ぐに伝える。勝ったチョンも一瞬だけその言葉を否定できずに受け止めているような様子を見せる。結局彼が祝勝ムードに合流するように彼らの時代が来るという苦い結末は避けられないのだけど、「それは真の勝者ではない」と現在からの解答を示すかのような描写にグッときた。
もちろん劇中で描かれた出来事のその後には残酷な史実が待っているという、その救いのなさもしっかり見つめる。それがこの一夜の重みをグッと高めている。素晴らしかった。

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