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2024年映画感想No.17 ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ(原題『The Holdovers』) ※ネタバレあり
アレクサンダー・ペイン最新作〜「人生のままならなさ」という作家性
1回目をBunkamuraル・シネマ渋谷宮下で、2回目をキネカ大森で鑑賞。
アレクサンダー・ペイン監督は「人生のままならなさ」について描く監督だと思う。理想の人生は望んでも手に入らないことの方が多い。その現実と向き合うことはとても辛いけれど、だからこそ「そこから抜け出す救いもこの世界にはある」という優しさにより心を揺さぶられてしまう。
人生の限界についての話であり、同時に人生の可能性についての話でもある。その両方を描くところがアレクサンダー・ペイン作品の誠実さであり優しさであるように思う。
普遍的なテーマを際立てる映画のフォーマット
対立していたキャラクターが衝突し合いながら互いを理解していく、というとてもシンプルな人間ドラマ。真新しさはないけれど、だからこそ孤独や人との繋がりはどの時代においても普遍的なテーマであるということを逆説していると思う。
普遍的という点で言うと、この映画は1970年代が舞台の物語を70年代の映画のように撮っている。フィルムによる撮影もそうだし、カメラの画角もヨーロピアンビスタという少し前の映画に多く見られた縦横比で作られている。そうやってあえて現代ではない物語を現代的ではないフォーマットで撮っているからこそ、今にも通じるテーマの現代性(ないし普遍性)が逆説されるような感覚があった。アレクサンダー・ペインの過去作でいうと『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』のモノクロ撮影が演出意図としては近いと思う。
社会の側からは見えない個人の抱える問題
映画冒頭のコーラス隊が「調和」というこの物語全体のテーマをすでに示しているようでもある。一方でそこから順番に紹介される主要登場人物3人は、それぞれに今生きている現実と上手く調和が取れていない。
誰がこの映画の主要人物なのかわかっていくかのような冒頭部の構成が、そのまま「社会全体」という視点からその中の「個人」の目線へと反転していくような描写になっているように感じた。社会に馴染めないという客観的な状況から始まり、段々と一人一人の抱えている切実な問題が見えてくる。クリスマスに学校に置いてけぼりになること自体が学校に残る者たちの「こんなはずじゃなかった人生」を象徴する状況そのものであり、だからこそ最後まで残る3人が最も切実な問題を抱えている。
社会と隔絶を抱える状況を映す空間の演出
ポール・ジアマッティ演じる嫌われ者の教師のハナムと、ドミニク・セッサ演じる反抗的な生徒のアンガスはそれぞれにアイデンティティの問題によって社会との関わり方を見失いかけている。置かれている状況もさることながら部屋や空間を使った場面設計がそれぞれの孤独な立ち位置を示唆する演出になっていて上手い。
「世界と自分」という登場人物たちの社会との断絶が立ち現れるような空間的演出は劇中のポイントポイントで使われているのだけど、お互いを理解し内面をシェアすることで閉鎖的空間内の意味が「わたし」から「わたしたち」になっていくのが感動的だった。
教師のハナムは多額の寄付金を納めている家庭の生徒を落第させたことで校内での立場を悪くしている。アカデミアに誠実であろうとすることで教職という居場所を失いつつあるという皮肉な状況があり、信念を曲げてそれに折り合いをつけられるような世渡りの柔軟さもない。彼が学校という社会における爪弾き者であることは自室に閉じこもっている登場シーンから陰口を叩かれる不在の食卓まで、文字通りその立ち位置に象徴的に表れている。
彼が金持ちへの嫉みから意地悪をしているだけではないことはちゃんと評価するところは評価するテストの評点にも見て取れるのだけど、一方で「そもそもあんまり合格させる気はないんだろうなあ」という追試の出し方には捻くれた性格も表れている。自分のことを嵌めた同僚の都合の良い嘘を鵜呑みにして心配するお人好しバカでもあるのだけど、ちゃんとこの描写もその場のコメディとして成立させつつ一貫した性格描写の一部になっている。
親から愛されたいのにそうではない環境に置かれてきたアンガスは自分自身を肯定できずに苦しんでいる。彼のクリスマス旅行への期待は「こうであってほしい」という願望の裏返しでもあり、同級生に吐く強がりもまた必死に自分を強く見せようとしているようで思い返すと痛々しい。自室で理想の家族像に想いを馳せるアンガスは一歩部屋の外に出ると虚勢を演じてしまう。閉じこもる室内にも、外の世界にも破綻を抱えていることが彼のアイデンティティの問題を象徴している。
もう一人、ダバイン・ジョイ・ランドルフ演じるメアリーもベトナム戦争で息子を亡くしたという大きな喪失を抱えている。彼女が「今ここにないもの」に思いを馳せるかのように窓の外を見つめるカットにも「外の世界」と「今いる場所」という対比があり、クリスマスに向かっていく幸福な世界から彼女の時間だけが取り残されていることがさりげなくも浮かび上がるような演出になっていると思う。
学校という空間の象徴性の反転
最終的にこの三人だけがクリスマス休暇の学校に取り残されるわけだけど、いきなり三人ぼっちになるわけではなく他の生徒たちと一緒に残る展開がワンクッションあるのも良かった。これによってのちに取り残されることの深刻さがより際立っていると思うし、他の生徒たちとの関係性の中に手際の良い人間性の描き込みがある。
人がいなくなることで元々社会そのものだった学校という場所がプライベートな空間になっていく。それに伴って個人的な事情が見えるようになってくる構成がとても丁寧だし、その切実さが極まったところが三人の関係性のスタート地点になっているのも素晴らしいと思う。
痛みと裏返しの優しさ
ハナムは過去の経験から特権的な生き方にとても厳しい。人生は不公平だと知る彼が「君たちは恵まれているんだ!人の痛みや尊厳を尊重しろ!」と調子に乗っている良家の生徒を叱る言葉にはとても重たい意味がある。彼は可能性を奪われる不条理を知っているからこそ息子を失ったメアリーの痛みに寄り添おうとする。逆に可能性の季節を生きているように見えるアンガスに対しては理想を押し付けようとしてしまう。
家族から愛されないことに悩むアンガスは自分と同じようにクリスマスを家族と過ごせない悲しみを抱える生徒の孤独に寄り添う。一方で自尊心を傷つけてくる同級生には容赦なく反撃するのだけど、彼が最も相手の傷つく言葉を選べるのはそれが彼自身が一番言われたくないことだからだと思うととても痛ましい気持ちになる。
メアリーは家族と共にいられないことの悲しみを誰よりもわかっているからこそアンガスの気持ちを理解できる。礼拝堂で孤独な夜を過ごすアンガスとメアリーの息子の遺影の面影が重なるようにカットバックされる編集があり、それによって直後に来るメアリーとアンガスの目線のやり取りに痛みを通じてお互いを理解し合うような切なくも優しい手触りが生まれている。
「予想外」と「相互理解」〜場面設計と描き方の上手さ
ハナムとアンガスは歩み寄ったと思ったら反発や衝突する、というのを繰り返してお互いを理解していく。迂闊に相手を咎める発言で思わぬ地雷を踏んでしまったり、予想外な行動で安定しかけた関係が崩れたりと、毎回調和と対立の間を揺れ動くシーンの作り方に予定調和を裏切る描写の上手さがあるのだけど、行動ややりとりの中に生じる予想外な部分がそのままお互いを知っていくプロセスでもある。どの場面もちゃんと想像しなかったところに着地するのが見ていてずっと面白い。
たとえば中盤三人がクリスマスパーティに招待される場面では三人それぞれにロマンスの予感のようなものが訪れるのを、各々の視点を順番に見せる群像劇的な編集で進行していく。それぞれに起きる出来事の悲喜交々を際立てる構成になっているし、ここで初めてメアリー単独の視点の描写を挟み込むことで彼女の重要な描写に繋がるのも素晴らしかった。
この映画内で基本的にメアリーはハナムかアンガスの場面に登場する形で描かれる。だからこの場面で二人と関係のない彼女の描写が始まった時点で「おっ」となるし、恋愛的な予感をミスリードにして彼女の切実な内面を見せる展開に繋がるのもキャラクターを尊重しながら予想を裏切る構成として素晴らしい。最も痛切な感情が溢れる場面ではさりげなく三人が密室で会話する場面設計になっているのも内面の問題をシェアする状況を象徴しているように感じた。
劇中メアリー単独の視点で描かれる場面はほとんど無いのだけど、少ないながらも彼女の痛みに寄り添うような描写がどれも心に残る。妹の家に行ってタンスに息子の思い出をしまう様子や、そのあと妹と時間を忘れて笑い合う場面が素晴らしかった。前者の描写を入れる作品はまああるかなとは思うのだけど、後者まで描く優しさにグッとくる。
お互いを理解することでハナムは教師としての理想を取り戻していくし、アンガスは家族という理想から解放されていく。世界は自分一人ではどうにもできないからこそ、他者と調和することが自分自身の抱えているままならなさを乗り越えることにも繋がる。
いわゆる「反復と差異」もとても丁寧で、ちょっとずつ行動や言動が変化していくところに心の距離が見て取れる。「この人がこんなことを!」的な変化にいちいちグッときてしまう。序盤で「ナチスの残党かよ」と言われたハナムが終盤にレストランで「ファシストか」と悪態をつくのとか「気が利いてるー」って思ったし、それを受けて一見大人な対応したメアリーがボソッと「ビッチ」って呟くのとか笑ってしまった。
人生の可能性を取り戻すラスト
劇中の冬休み休暇最後の場面、つまり彼らだけで過ごす最後の時間として描かれる年越しの場面ではテレビという小さな枠から外側の世界の出来事を眺める彼らを映す。そうやって彼らに特別な時間を共に祝福する親密さが訪れたことにグッとくるし、続く場面ではキッチンで爆竹遊びをする彼らを窓枠という画面内フレームで捉えてみせる。冒頭から用いられている「社会と個人」を隔てる空間的演出を反転したような映し方になっていて、彼らの心の繋がりが彼らだけの空間という画面設計からも浮かび上がるように感じた。起きる出来事も温かいけれど、その映し方からもお互いの存在を内面化できたのだなあと感じる情景になっていると思う。
ラストは起きる出来事としては苦いけれど、良きロールモデルとして若者の可能性を守る行動をしたハナムと世界には自分を守ってくれる大人がいると実感できたアンガスが「もうあなたは大丈夫」と伝え合って別れる姿に感動してしまう。
授業をサボって飲みに行こうと提案するアンガスと「自分の可能性を無駄にするな」と大人として伝えるハナム、それぞれの言葉からお互いの存在を大切にしたい気持ちが伝わってくる。アンガスがハナムの言葉に従うところに何よりの成長が感じられて、まさにそれを見守るハナムと同じように込み上げるものがある。
この映画内で二人は一緒に酒を飲みそうで飲まない。ラストにハナムが理事長室から持ち出したウィスキーを飲み込まずに吐き出すのは、彼の矜持であると同時に二人の絆でもあるように思う。