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こころ 夏目漱石
リタイヤした幼い頃の私へ
ちょっと難しい本を読んでみたいと図書館に行き、この本を手に取った。
ほぼ原文の状態で当時の私には語彙力も理解力も足りずに途中で読むのをやめてしまった。数年後に高校の教科書で再会.......今日、購入、読了に至った
状況と感情
登場人物の葛藤や感情の変化の描写が多くみられるが「もしもこの状況じゃなかったらどう思っていたのだろうか。」と読みながら思っていた。主人公が先生と出会っていなかったら、父親が病気ではなかったら、この複雑な心情は生まれなかったんじゃないかと思う。環境や周囲の人の影響を受けて複雑に動く心情が特徴的な作品だと思っているため、別の世界線もみてみたいと思った。作品全体を通して様々な感情を赤裸々に、ある意味残酷に書かれた文章は人間の弱さ(ある意味強さ?)についてじっくりと学ぶことができる。そこがこの作品の好きなところだ。
先生の言動を肯定できるか
遺書に書かれていた先生とKのエピソードについて皆さんはどんな印象を受けただろうか。作中では先生はKとの過去に対して後悔し、自分を戒め続けているが私は先生の過去について肯定の立場を取る。
別に悪いことじゃないと思うんだけど、、、
というのが率直な感想だった。もちろんお互いの気持ちを知った上で正々堂々勝負することが一番良い方法だったかもしれない。抜けがけがずるいというのもごもっともだが、恋敵を出し抜くために必要な方法で珍しいものでもなかったんじゃないかと思う。先生の優柔不断で必要な場面で勇気を出すことが出来ない弱さはあるが、当時の年齢等を考慮すると若者にありがちなことのように思える。大事な友人であるKを放っておくことができず相談に乗り、家まで連れてくるという行動力だってある先生が一概に悪いとは思えなかった。
Kについて考えてみると感情を表に出さない、無口、無愛想など先生や奥さん(先生と遺書ではお嬢さん)と比較されて、「少し気難しいとっつきづらい人」という印象を受けた。Kが気持ちを打ち明け、先生とお嬢さんが婚姻関係になった時など、損な役回りになっているがそれはKの性格や立ち居振る舞いが招いているように思えてくる。
結果が招く自己嫌悪
先生は自己嫌悪と反省をし続けているがそれは「自分の言動」に対してではなく「自分の言動のせいで友人が自殺したこと」であり、Kが亡くなったという事実に対して反省しているのだと思う。自分が何をするかということよりも事実や結果を鏡のように自分を写すことで自分自身の評価を決めていると思った。そのため、この作品で先生が自分自身と向き合い戒めているとずっと思っていたが、実は周りの環境や事実が先生を戒めているのではないかと考え直すことになった。