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32. 数学から英語教育を考える②~森毅『数学的思考』講談社学術文庫(1991年)

 先月、川越まで出向いた時のことです。
 駅前で古本市が開催されていまして、立ち寄ったところ、京都大学の教員でいらっしゃった森毅先生の書籍を見かけて購入いたしました。

 英語教育を語るうえで、他の教科教育について知ることも有益だと思いましたし、学生のころ、森毅先生の著書を読んで、飾らぬ語り口に面白さを感じたことがあったので、今回購入いたしました。

 英語教育も実用性をめぐり喧々諤々議論が展開されていますが、数学科の教育でも論点が湧かれるセ策があるものだと知り、楽しみながら読み進めることができました。
 数学教育でも、教養路線なのか実用路線なのか、考え方が分かれていることは初めて知りました。
 特に面白さを感じたのは以下の記述です。

微積分計算というのを練習するのだが、それが「問題のための問題」ばかりで、本当に役に立つのが少ないのだ。微分方程式というのがあって、たいへん役にたつもの、というよりは、科学の方法論の基礎になるようなものなのだが、教科書を見ると (略) 「数学者」がデッチあげた、問題のための問題が多いのである。(pp.142-143)

森毅『数学的思考』

 なるほど。
 この書の冒頭にはこんな記述があり、伏線のように感じました。

「日本人たちは、数学の試験を通じて教育されたために、数学の諸問題が一切の事物の諸原理でなければならぬと考えたほどに、この科学を歪曲させた最初の人々である」(p.18)

森毅『数学的思考』

 つまり、問題演習を通じて数学を習ったので、数学が諸学の根源であるという迷信が生じているという事実を指摘しているのです。

 この文書を読んで、「なるほど」と思いました。
 英語の問題演習を通じて英語という言語を分かった気になっていないか。
 コミュニケーション軽視の英語教育には注意が必要だと思いました。

 英語についても、入試対策を見据えた学校教育を経て、スピーキングとライティングのないTOEIC L&Rだけで英語力を測定する傾向が強い社会では、なおもTOEFLの世界平均スコアなど数字を絶対的なものとしてとらえ、日本人は英語力が低く、意思疎通に支障をきたしがちであると認識していないでしょうか。
 問題を解く能力(「科目」としての英語)と、意思疎通の手段として用いる能力(「言語」としての英語)の認識を混同させてしまっていないでしょうか。
 英語を使って人との交流を楽しんだり、自分の世界観を広げる喜びが阻害されていないでしょうか。
 英語教育を担当する者の思考に注意が必要であると認識しました。

 そこで思い浮かんだ発言がこちらです。

 英語教育を担当する側が、学習の目的について「入試の重要科目だ」など形式的なことを語らず、英語を使用すること、そのうえで英語を学ぶ意義を語ることが必要だと思いました。

 以前も記したのですが、私自身が受けてきた数学の授業では、数学がどのような場面で役に立つのか、実用面について教わることがなく、問題演習のみだったことを残念に思っています。
 森毅先生の本と、柳瀬先生の発言は、英語教育に興味を持つ自分にとって参考になりました。

 最後までお読みいただきありがとうございました。