共感能力とはただ同調することではない
共感能力とは小さな愛を与えることだ。
ただ共感することや同調することではない。
対話をとおして相手の感情の経緯を理解しにいくこと。
言葉にならない感情を言語化するお手伝いをしてあげること。
傷つき朽ちて、丸くカチコチに固まってしまった心に、小さな愛という水を与えて解きほぐしてあげること。
「ちょっと話聞いてください」と相談されたときは
相手が津波の中で立つことも難しい状態なのか、
立てるけどどう歩けばいいのか分からない状態なのかは
ちゃんと見極める必要がある。
一見後者だと思っても、本当に足場かたまってる?まだ足ガクガクしてるのに無理してない?と確認してあげることは大事。
後者の場合は、自分ならではの見解とか、一緒に文献調べてあげたりして、具体的な行動策を提示してあげたらいい。
でも前者の場合はそれはむしろ逆効果だったりする。
「もう歩けない」「立つこともできない」って人に対して「こう歩くといいよ」なんて言うのは飛躍しすぎているのである。
「どんな波が襲ってきたの」
「それはすごい津波だねしんどいね」
「今までよく歩いてきたね、十分頑張ったね」
「お水飲んでちょっと休もう」
そういう言葉がほしいのである。
でも問題なのが
「津波の中で立つことも難しい状態なのか、立てるけどどう歩けばいいのか分からない状態なのか」
って他人からは測りにくいってこと。
だから「わたし今こういう状態なんです」って
自ら伝えることができるとスムーズ。
だけど自分でも今の自分の状態なんてはっきりと認識できてるわけじゃない。
もう大丈夫だと思ってたけど実はけっこう危なかったってことも。
それさえも対話の中で相手に気づかせてほしいと期待してしまってるところもある。
だから基本的にはどんな相談も
共感能力で応えてほしい。
少なくともたぶん、感情型の人間には、そう。
その中で、「お、自分の足で立てるようになってきたな」と感じてきたら
「こう歩いたらいいんじゃないかな」って策を提示していくのがいいと思う。
感情型の人間はよく波に襲われるから
毎回1人で立ち上がるのは大変だ。
支えてくれる人を頼ろう。
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