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Binka Zhelyazkova『We Were Young』ブルガリア、愛を知る時間もなかった若きパルチザンたちの物語

超絶大傑作。ビンカ・ジェリャズコヴァ(Binka Zhelyazkova)長編二作目。実は『ほたる』という邦題で1961年に一般公開されていたことを知る。前作『Life Quietly Moves On...』では戦争を生き延びたパルチザンたちを描いていたが、本作品では舞台を二次大戦期に移し、ナチスとの闘争で命を落としたパルチザンの若者たちを描いており、まさに二つは相補的な関係にあると言える。前作の中心人物だったディミタル・ブイノゾフ(Dimitar Buynozov)が本作品でも再び中心人物となる他、ゲオルギ・ゲオルギエフ=ゲッツ(Georgi Georgiev-Getz)やエミリア・ラデヴァ(Emilia Radeva)がベテランメンバー役で登場しているのも象徴的だ。物語は二人の若い男女が出会うところから始まる。一人目のディモはそれなりに任務に慣れてきた青年、二人目のヴェスカは今回が初めて参加となる印刷所勤務の少女である。そして、二人は任務を通して惹かれ合っていく。後に他のメンバーが、我々パルチザンは陽光を自ら諦めたが(夜の)閑散とした町並みは我等のものだと言っていたが、二人の前では昼間の町からも人が居なくなる。それこそが恋であると言わんばかりに。また、同時発生的にヌーヴェルヴァーグとも近い、新たな映像表現を模索しており、二人の恋模様が懐中電灯の丸い光の重なり合いで表現されたり、ヴェスカの家の屋上から超広角域までのズームアウトショットがあったり、パルチザンの隠れ家とヴェスカの家をパンだけで繋げたり様々な工夫が散りばめられている(DoPと大喧嘩になった等の妥協しない姿勢は現場では嫌がられたらしい)。そこで思い出したのは、本作品の4年後に製作されたルチアン・ピンティリエ『Sunday at Six』だ。同作もまた、パルチザンに参加する若い男女の恋物語を新たな語り口で描写する映画だった。異なるのは、"社会"の捉え方か。ピンティリエは製作当時の同時代の社会を敢えて40年代の社会として登場させることで、戦争などにまるで無関心な若者たちの存在が、守るべき対象であると同時に成りたくても近付けない存在として象徴的に配置していた。本作品では40年代の社会をそのまま再現している。だからこそ、異様な緊迫感に包まれている。それは"禁止されていることをしている(パルチザン活動、夜間外出、手配犯を匿う)"ということもあるのだが、上記の通り他の人間の存在感が薄いこともあって、街自体が息を潜めているようにも見えてくることにも起因している。パルチザンだけでなく、街全体が、ある種の緊迫感を持っているのだ。

本作品でも前作と同様、パルチザンの活動にスポットが当たるのだが、どれも上手くいかない。最初のカフェ爆破は信管が起動しなかったし、バレエ劇場でのビラ撒きはバレエに見入ってしまってタイミングを逃してしまった。若者であるディモもヴェスカも任務に参加することを熱望するが叶わず、逃げ続けるベテランたちは戦いに疲れ果てている。流石は元パルチザン出身のフリスト・ガネフが脚本を書いているだけあって、希望を持って行動し続けることと現状に疲弊することが両立することをキチンと描いている。中でも分隊長ムラデンとその妻ナジャの挿話において、ムラデンが"何かを愛して何かを憎むから戦うんだろ?"という言葉は忘れがたい。これはナジャと会っていたことを暗に軟弱だと詰った若きディモに、彼が未だ自分の強さの源となりかつ最大の弱点ともなりうるものを自覚していないことを暗に指摘している。現に彼はヴェスカを残して死ぬことを想定して彼女宛の手紙を残している。だが、彼はここでヴェスカの存在を忘れていることに気付いていない。彼女だってディモのことが好きなのだ。
監督の作品群における一つのテーマとして、パルチザン闘争や戦後社会における女性の役割の探求があり、本作品もその系譜にある。上記、パンで隠れ家とヴェスカの自宅を行き来するシーンは、ナジャとヴェスカ、ムラデンとディモが対比構造になっており、ディモの考えはそのままヴェスカの考えでもあるのだ。そこに残す者残される者という関係はない、彼女も立派なメンバーの一人なのだ。そして、その構造は二人が死んでも繰り返される。これまでも繰り返されてきたのだろう。終わるまで繰り返されるだろう円環を、意志が受け継がれたと希望的に取るべきか、次のカップルもまた愛を知らずに亡くなってしまうのかと悲観的に取るべきかは分からない。

ディモとヴェスカの恋模様の間にもう一人女性が加わる。それが、ディモの隣家に住んでいる少女ツヴェタである。幼い頃からずっと手漕ぎ式の車椅子に乗っていて、常に自宅の窓から外を眺めては写真に収めている。彼女はパルチザンのメンバーではないが、隠れ家の見張りのような存在で、メンバーにはない底抜けな明るさを持つたった一人の人物である。ディモとデートという体で久々に外に出るシーンの陽気さは、ここだけ違う映画のように通行人も出てくる昼間の明るさに満ちている(後に悲惨な形で反復される)。そんな彼女が呟いた"人間は白か黒、現像すると入れ替わる"という言葉は非常に興味深い。ジェリャズコヴァもガネフも共産政権樹立に参加したが、すぐに党の体制が理想とはかけ離れたものであると幻滅し、それを映画に落とし込んでいる。映画の中でツヴェタの言う"白"と"黒"は、手のひらをひっくり返して腐敗へ突き進んだ古い同志たちを指しているのかもしれない。

追記
ナジャとムラデンはなんだかんだ生き残ることから、もしかするとこのまま『Life Quietly Moves On...』に続くのかもしれないと思うなど。

・作品データ

原題:A byahme mladi
上映時間:110分
監督:Binka Zhelyazkova
製作:1961年(ブルガリア)

・評価:99点

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