フランツェ・シュティグリッツ『平和の谷』スロヴェニア、戦争のない"平和の谷"を目指して…
1957年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。カンヌ映画祭コンペ部門に選出された数少ないスロヴェニア映画の一つ(もう一つもシュティグリッツの作品)。スロヴェニア映画鑑賞会企画。東欧の子供映画を観よう!企画。二次大戦期、スロヴェニアはナチスの占領下にあり、都市部は連合国軍の空爆を受けていた。元から住んでいたスロヴェニア人グループと後から移住してきたドイツ人グループは仲が悪く、子供たちも敵対感情むき出しで喧嘩ばかりしていた。そこへ連合国軍の爆撃があり、主人公マルコは両親と家を失う。彼は同じ爆撃で祖母を失ったドイツ人少女ロッテと共に街から逃げ出し、マルコの叔父が暮らしているという谷間を、戦争のない"平和の谷"と信じて旅を始める。旅の途中で撃墜された連合国軍パイロットのジムが加わって三人での旅が続く。ジムはドイツ語ができるようで、三人の会話はジムの独り言の英語、ロッテとジムのドイツ語、マルコとロッテのスロヴェニア語の三種で行われている。マルコとロッテの家族を奪ったのは連合国軍による空爆なのだが、ジムに対してそこまで悪感情がないのは、そもそもナチスに与するドイツ人移住者を憎んでいるからなのか、そもそもの戦況をそこまで詳しく把握してないのか分からんが、どうも連合国軍≒パルチザンという繋がりを意識させるプロパガンダっぽい感じもする。ジムの任務は不明だが(ナチスの隊列を戦闘機で銃撃して撃ち落とされた)、一介のパイロットがパルチザンと連絡取ろうとしたり、居場所をざっくり知ってたりするんだろうか?任務上知ってるなら戦闘機でド派手に登場するんじゃなくもっと秘密裏に上陸するんじゃなかろうか?などと無駄なことを考えてしまった。物語は非常にスッキリとまとまっていて、子供視点から戦争の悲惨さや逃げ場のなさなどをキチンと描写していて好印象なのだが、ジムの存在があまりにも好都合すぎるというかなんというか。ゲツァ・フォン・ラドヴァニ『ヨーロッパの何処かで』の戦前版という傑作になれたかもしれない題材だが、なんとも惜しい映画だ。
・作品データ
原題:Dolina miru
上映時間:82分
監督:France Štiglic
製作:1956年(スロヴェニア)