見出し画像

ドゥシャン・ハナーク『322』スロヴァキア、信仰を失っても信じない勇気のない人について

傑作。ドゥシャン・ハナーク初長編作品。スロヴァキア映画鑑賞会企画。スロヴァキアの小説家ヤーン・ヨハニデスによる短編『Potápača priťahujú pramene mora』に基づき、ハナークとヨハニデスが共同で脚本を担当した。冒頭で登場するのは、ドストエフスキーが自身の小説『賭博師』の構想を友人に語った手紙の一節という"信仰を失っても信じない勇気のない人"という言葉だ。それは主人公ラウコに当てはまる。小説版ではノンポリだったらしいが、映画化に際してハナークが"罪悪感"を付け加えたことで、彼が50年代に共産党員としてスターリン時代の弾圧に加担し、それを悔いながら"プラハの春"直前の希望と幻滅に満ちた社会にいることが示唆されている。そんな彼は冒頭で若者に殴られて無理矢理"ありがとう"と言わされ、医者には癌であると宣告されるわけだが、彼はそれを自分への正当な罰だと捉えて受け入れている。共産党員としての"社会的成功"を捨て去ってコックとして働き始めたことで、妻マルタとは別れることとなったが、なぜか未だに同居していて、当たった宝くじで新車を買ってあげるなど世話を焼いている。そんな彼女にはペーテルという若い恋人がいて、仕事中も違うフロアで働いている彼を呼び出しては逢瀬を重ねている。過去への後悔に生きるラウコとは対照的に現在を生きているようにも見えるマルタだが、映像表現と呼応するような(後述)刹那的な生き方をしているようにも見え、明示はされないが彼女の中にもラウコと似た後悔が燻っているのが分かる。彼女の"生き方が分からない人もいるのよ"という悲痛な叫びは象徴的だ。

本作品において、会話は多くの場合成立せず、シーンや視点人物はあっという間に入れ替わり、同時代の記録が挿入されることで主軸となる物語の進行は遅れ続ける。ラジスラフ・ゲルハルトによる見事なジャズ劇伴によって、その全てが即興のような、或いはプラハの春を予期した(公開は1969年で上映禁止となったが脚本完成自体は1967年だった)かのような刹那的な印象を受ける。まるで真面目な『ひなぎく』のような奇妙な自由さと社会の窮屈さが共存しているかのような不思議な感覚に陥る。つまりはこれが同時代の空気感なんだろう。

原題"322"は主人公が診断された癌の登録番号を表している。と同時に、看護婦が買ったセーターの値段でもある。ある者にとっては早死を意味し、ある者にとっては大金を意味する、この数字的な遊びの中には、ハナークの見る同時代の空気感が圧縮されているのかもしれない。

・作品データ

原題:322
上映時間:92分
監督:Dušan Hanák
製作:1969年(チェコスロヴァキア)

・評価:80点

・ドゥシャン・ハナーク その他の作品

★ ドゥシャン・ハナーク『322』スロヴァキア、信仰を失っても信じない勇気のない人について
★ ドゥシャン・ハナーク『Rose Tinted Dreams』スロヴァキア、幸福の甘さと脆さについて
★ ドゥシャン・ハナーク『I Love, You Love』スロヴァキア、他者と繋がる"愛"について
★ ドゥシャン・ハナーク『Quiet Happiness』スロヴァキア、静かなる幸福を求めて

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします!新しく海外版DVDを買う資金にさせていただきます!