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Sofia Bohdanowicz『Measures for a Funeral』キャスリーン・パーロウを知り、その"音"を蘇らせること

人生ベスト。ソフィア・ボーダノヴィッチ(Sofia Bohdanowicz)長編五作目。自身の分身とも言えるオードリー・ベナックを主人公に据えた一連のシリーズ最新作にして集大成。彼女はこれまでの作品群の中で、物質や場所や行為を通して記憶や記録を蘇らせてきた(ICAの特集上映では"Archival Detective"と呼ばれていた)。短編が多かったこともあってか、基本的には物質なら物質、行為なら行為というように、テーマを絞って描いてきたわけだが、今回は集大成ということもあって全部乗せでやってくる。しかも、本作品は2018年製作の短編『Veslemøy's Song』の後日譚であり拡張版ということで、同作のおかげで監督の大ファンになった身としては、そこから共に歩んだ時間がそのまま映画になっているかのようで、涙なしに鑑賞不可能な作品であった。本作品のテーマは『Veslemøy's Song』にも登場した、オードリの祖父アンドリューのバイオリンの師匠でもあった、カナダ出身の忘れられた女性バイオリニストのキャスリーン・パーロウである。1890年生まれの彼女は、幼い頃から神童として持て囃され、当時の北米人がプロとして認められるルートを辿って1905年に15歳でロンドンに移住した。そこで師となるレオポルド・アウアーと出会い、モスクワで彼に習った後、欧州でツアーを始めた。ノルウェーでの公演で、彼女は二人の人物に出会う。一人はアイナル・ビョルンソン、ノーベル賞受賞作家ビョルンスティエルネ・ビョルンソンの息子である。ノルウェーでの公演で彼女に魅了されたアイナルは、彼女にグァルネリ・デル・ジェスを買い与えた(彼は父親のノーベル賞の賞金や妻の持参金を注ぎ込んでいたらしく、それ以降はパーロウと会うことはなかった)。もう一人はノルウェー交響楽団の指揮者だったヨハン・ハルヴォルセンである。彼もアイナルと同じ演奏会で彼女に魅了され、"Opus 28"というバイオリン協奏曲を作曲し、彼女に捧げた。作曲家としては未熟だったハルヴォルセンがパーロウと意見をやり取りしながら書いた、後世の専門家が見れば散漫な印象を残す高難易度の曲だ(作曲は独学だったため死ぬ前に多くの作曲作品を焼いてしまった)。本作品はこの"Opus 28"という曲が主人公となる。

本作品では上記の通り、これまでの連作を引用するように、様々な角度からパーロウに近付こうとする。まずは物質として祖父から父親に受け継がれたバイオリンが登場する。彼女はこのバイオリンを様々旅する先々にも肌身離さず持ち歩いている。オードリーの父親は既に亡くなっており、病気の母親とは仲が悪いのだが、その原因として元々はバイオリニストだった母親が結婚出産を経て演奏家としての道から離れざるを得なくなったことが挙げられ、父親の忘れ形見であるバイオリンは母親にとっては憎しみの象徴であり、転じて親子不和の象徴的なアイテムでもあるのだ。このバイオリンが後にパーロウから祖父、そして父親に受け継がれたグァルネリ・デル・ジェスそのものであることが判明し、だからこそこれがある種の呪縛であり、それを彼女が常に抱えていたという意味で本作品の象徴的なアイテムであることが色濃くなる。また、回顧録の朗読という形でパーロウの言葉も映画に参加し、彼女に縁のある土地を巡るオードリーの調査旅行と過去を結びつけている他、残されたパーロウの数少ない写真と同じ行動を取ることで、自身もパーロウと繋がりを得ようとしている。そして、何と言っても今回は"音"が重要なモチーフとなる。『Veslemøy's Song』もそうだったが、こちらはレコード盤という物理的な制約があったので、どちらかといえば"音"そのものよりもパーロウ自身が演奏したレコードという方が重要視されていた。一方で、本作品は"音"そのものを記憶/記録と紐付けることでそれらを蘇らせることを選んでいる。オードリーも当初はロンドンでサウンド・アーキビストに会って、実際の音声を突破口に過去と現在を繋げようとしていたが、友人に"音は物体とは異なる存在であり、その音が鳴らされた他全ての時間と繋がり、感情を刺激する形で繰り返されることがある"と指摘され、100年前の忘れ去られた音楽を再び奏でることが、すなわちパーロウと繋がることであると理解したのだ。ちなみに、同じく音のアーカイブから記憶を探る作品としてジョナサン・デイヴィス『Topology of Sirens』があるが、こちらも叔母の遺したカセットテープであることから、音そのものを起点としてるわけではなかった。

また、冒頭から、母親との会話が音声のみで提示されるのも、音を起点とした人間の関係性の変化という意味で見逃せない。オードリーとその母親との確執はパーロウとその母親(彼女は娘のマネージャーであり全てのツアーに同行した)の関係にも、オードリーとパーロウの関係にも転写されている。後者に関しては、バイオリニストとしてのキャリアの邪魔になるからと生涯独身を貫いたパーロウと、オードリーを産んだことで結果的にキャリアから遠ざかった母親が、オードリーのパーロウへの病的な執着を基軸に対比されている。中盤で、オードリーは母親との毒々しい関係に支配され、選択には常に母親が片側の天秤にいたと友人に指摘されている。また、オードリーは仕草が母親に似ていることに気付いて嫌になったとも告白している。これらは死者の思い出を物質や行為に転写して残すことを描いた『Point and Line to Plane』や『A Woman Escapes』とは真逆のことを言っており、明らかにこれまでの連作へのアンチテーゼとなっている。パーロウへの病的な執着は、ある意味で母親の一部分のような存在であり、母親との関係を素直に修正できないオードリーが、母親と真逆のことをして成功したパーロウを深く理解することで、母親に近付こうとしたということなんだろうけど、その行為こそが呪いでもあるというような感じすらしている。

オードリーはあるとき、マリア・ドゥエニャス演じるエリサという若きバイオリニストに出会う。彼女に会った瞬間に、オードリーはパーロウを思い出すと直感で理解した。圧巻のラスト20分はエリサがパーロウの名前で"Opus 28"を演奏するシーンであり、そこでオードリーは涙を流しながら母親の出棺とバイオリンが燃える様子を思い出す。終盤の展開は中々のパワープレイな気もするけど、母親とキャスリーン・パーロウとエリサが渾然一体となっていく終盤は、これまで現実に軸足を置いて決して動かさなかった監督がふわりとその境界を飛び越えたということで、ラモン・チュルヒャー『煙突の中の雀』を想起させた。演奏が終わった瞬間に、オードリーは鎖から解き放たれたのだ。

・作品データ

原題:Measures for a Funeral
上映時間:142分
監督:Sofia Bohdanowicz
製作:2024年(カナダ)

・評価:100点

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★ Sofia Bohdanowicz『Measures for a Funeral』キャスリーン・パーロウを知り、その"音"を蘇らせること

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