私は何故「けんちじ」なのか
「けんちじさんは、どこのけんちじなんですか?」
と、たまに聞かれることがあります。そうすると、ちょっと困るところなんですが、私は野生のけんちじです。どこかの区画を統治していません。
私が「けんちじ」を名乗り始めたのは、かれこれ9年くらい前のことです。この「けんちじ」という名前、人と被りにくいしなんだかんだ気に入っているのですが、我ながらときどき「なんでけんちじ?」と思います。
X(旧Twitter)でうだうだしているときは全然気にならないのですが、特に同人誌即売会などでリアルに人と会うときは顕著です。「けんちじさん!」と皆様からリアルに呼んでいただけると、語感の独特さに困惑し「え?け、県……え?だ、誰が?」と突然己の名前を裏切りたくなります。私は恥ずかしがり屋だからです。
でも、最近は慣れてきました。さすがに9年もけんちじをやっていると、けんちじ慣れします。それに、冷静になると、私よりもっと変な名前の人はたくさんいます。変な名前の人を見ると少し仲間意識を覚え、ウキウキとしてしまいます。これからも世界に変な名前の人がたくさん増えていってほしい。
適当に名乗った
9年前の記憶を掘り起こすと、一応けんちじのルーツはあります。
今でこそジャンプ系漫画などの二次創作を好んでやっていたりしますが、一番最初はポケモンのイラストが描きたいと思って、pixivのアカウントを作りました。
しかし当時なんていう名前で活動するか決めておらず、色々と思案した結果半ば投げやりに、「なんでもいいや!」とポケモンのゲーム(たしかリーフグリーン)の主人公に付けていた名前を流用したのが始まりです。
更に遡ると、この主人公の名前は、姉が昔マリルリというポケモンに付けていた「ぶちょう」というニックネームを「なんか親しみ湧いてイイ!」と思い、そういうシリーズのつもりでつけた名前でした。
マリルリかわいいね。
名前の理由(後付け深堀タイム)
年明けに赤チャンが生まれた親戚に会い、名付けの由来を聞いてみたのですが、「〜こういう意味で」という説明と共に「これは後付けなんだけど」ということも話してました。往々にして名前に込められた意味というのは、「後から思いついたやつがしっくりくる」というの、よくあるなぁなんて思ってて。
私の推しである歌い手のAdoちゃんは、自身の名前の由来を後付けで語ってます。
実は、「けんちじ」にも後付けの名付け理由があります。段階を追って説明していきたいんですが、それがなかなかしっくりくるなぁと思っているんです。
A:直感的名付け理由
まずは後付け理由、その1つめです!
「なんでもいいや!」で決めた割には、結構「けんちじのココがイイ!」ポイントがしっかりあります。
個性的
ひとたび聞くと「ん?この人は?」となる、個性がキラリと光る名前です。覚えやすい
単語として誰もが耳にしたことがある、記憶に残りやすい名前です。また、平仮名なので読み間違えも起こりづらいです。人と被らない
大体1と一緒ですが。似た人があまりいない、識別しやすいのが大事です。
元々は直感的な命名だったはずですが、意外と戦略的にキャッチーなチョイスしてるよね。無意識に。
深堀り名付け理由
後付け理由その2です。
ここからはこじ付けと謎解きの領域ですが、軽い気持ちで聞いてください。
アナグラムというのをご存知でしょうか?
「氏名は使命」なんて言葉も使われたりします。
氏名の順番を入れ替えることで、本人の氏名や人生のテーマが見つかることがあるよ〜、ということなんですね。
ちなみに「けんちじ」にアナグラムは見つかりませんでした。更に私は本名でもこういうアナグラムは見つかりませんでした!
じゃあ話題にすな!と言われそうなトコですが、ようするに私が言いたかったのはですね。名前には「名付け親の無意識に、なんらかの人生テーマ的な意味付けが為されている可能性がある」ということなんですよ。こういうのワクワクしません??私はワクワクします。
ちなみにスピリチュアルに詳しい人の中には、「氏名は本人が生まれる前に自分で決めている」などと言う方もいらっしゃいますね。なんにせよ確かなことは、どうあがいても「けんちじ」は自分で決めてこのヘンテコネームなのであります。
つまりつまり「けんちじ」にも、よくよく深堀りし調べれば、私すら知らぬ「名付けの“意図せぬ意図”」が出てくるにちげぇねぇ!!!
ということで、ここから「けんちじ」のことを更に掘り下げさせていただきました。
「知事」の語源を知る
「知事」の語源を調べてみると、ちょっと意外な事実がわかりました。
「知事」は元々、仏教用語からきている言葉なのです。
ちなみにサンスクリット語「karma-dāna(カルマ・ダーナ)」の「dāna(ダーナ)」は、「旦那」の語源でもあるそうです。働いて給料を家庭に持ってきてくれる人……つまり、「家庭に布施をしてくれる人」ということですね。
この「僧侶1人ひとりの個性を理解して、それぞれにあった居場所や役目を助言していた」という箇所について、大変おこがましいのですが私自身に近いものを感じました。私は野生の占い師でありますからに。
Xにて12月のポストで、「アイコン屋さん兼占い屋さんのネットショップ準備中〜!」とか宣っておりますが突如電池切れしてサボってます。無事開業できることを祈っていてくれたまえ……。
とにもかくにも、ひとりひとりに対して特別なものを渡したい、というのはショップの重要なコンセプトでもあります。まだ準備段階なので細かいことは言えないのですが、今のところ占い然りイラストアイコン然り、オーダーで承るメニューしか用意しておりません。
ひとりひとりをプロデュースしたい、よりよい方向性へ導きたい……という情熱は、知事の本来の意味とも一致するところなのであります。
「知事」の語源と近しいタロット
「知事」本来の意味に対して、私は似通った意味を持つ“とあるタロットカード”を想起しました。
それは、ペンタクルの6です。
このカードは、「豊かな人が貧しい人たちに施しをしている状況」を表す絵柄です。「公平、公正、寛大さ、慈善」といったキーワードを持つカードです。
ペンタクル6において大切なポイントは、この慈善家(中央の人物)は「施しを行うことが、互いにとってwin-winであると知っている」ということです。
お金(ペンタクル)とは豊かさであり、豊かさというのはエネルギーのことです。エネルギーは、循環させなければ巡ってきません。よく「お金が欲しいなら、お金を使おう」と言われることもありますが、これは窓を開けて滞った空気を外に出してやらなければ、新しい新鮮な空気が入ってこないのと同じようなものです。
最近、霜降り明星の粗品さんが競馬で勝った全額を寄付にあてられたのが話題になっていましたね〜。普段からギャンブルがお好きみたいだし、豪快にお金を使う人には豪快にお金が降ってくるんだな〜。
他にも最近の話で言いますと、昨年M-1グランプリで優勝した令和ロマンの松井ケムリさんは、賞金1000万円全額相方の高比良くるまさんにあげることにしたとニュースになってました。
松井ケムリさんは大和証券グループ本社副社長の父を持つ方です。つまり、親がめっちゃ金持ちということです。
ここで「さすが、御曹司は金銭感覚が違うんだな」と思う方はたくさんいるだろうと思いますが、私からすれば「御曹司だから全額相方にあげられる」のではなく、「全額相方にあげられる人だから御曹司」なんだと思うのです。豊かさの本質は循環させることにあるとわかっているから豊かなのだと思います。
ちなみに私は2022年のM-1の敗者復活戦を観て、令和ロマンが一番面白いと思ってたのに決勝にいけなくて悔しかったので、優勝してくれて嬉しかったです。この情報いらないかもしれない。
だいぶ脱線したように思われますが、「豊かさとは循環させるもの」であり、これが知事の語源である「karma-dāna(カルマ・ダーナ)」の「自分の行動や労力を布施する」意図と通ずるものがある……と、こういうことを書きたかったよわたしゃ。
大丈夫?文章なんかグチャグチャになってない??ずっと文字をタイプし続けててようわからんくなってきたよ。ッグウ!!諦めるな!!!!頑張れ炭治郎!!!!!話題を広げすぎる癖がある!!!!!
まとめに移るぞッ!!(急カーブ)
まとめると、こうなります。
けん(県) → 自らの居場所、目の届く区画、範囲内 に対して
ちじ(知事) → 自分の行動や労力を布施する、人々の為に施す
これが「けんちじ」の目指すべき精神性であり、この名に込められた希望なのではないかと思います。ド真面目。
「けんちじ」のこれまでと、向かう先
「けんちじ」は9年ほど前に、趣味の二次創作活動の為に適当に名付けられ、誕生しました。
そう思うと、上に書いた“「けんちじ」に込められた希望”は、いささか話が壮大すぎるというか真面目すぎるというか固すぎるというか、目的がデカすぎるというか。分不相応なカンジが山盛りです。こんなのフニャフニャ生きてる私には荷が重すぎる。本来はもっとフニャフニャポヨポヨした何の目的も意図もない、超いい加減なただの仮の名前なはずだったのに。と思ってしまうのですが。
しかし、近頃はなんか、そうも言ってられなくなってきました。先ほどのネットショップ開業計画もそうですが、私は「けんちじ」の名を冠したまま、よりデカくなろうとしているのです。だからです。ただのフニャフニャのけんちじとか、そろそろ言ってられないのです。
私はけんちじという名前のまま、趣味のコンフォートゾーンを今にも抜けてしまいそうなのです。ここにこのままずっと居れば、危ないことも難しいことも何もないはずだった。それなのにもかかわらず、です。そんなけんちじのことを、私はまるで我が子のように心配してしまう部分もあります。
多分、私はノリと勢いで付けた「けんちじ」という名と、この先も長く付き合っていくのだろうなと思うのです。だって、こっからよりデカくなろうとしてるんだもの、けんちじ。もう、私には止められません。
なので親心としては、そのはなむけに、ちょっとはいい服を着せてやりたいと思ったのです。
生まれたてがフニャフニャだった彼女が立派に何かを為せるよう、その祈りを込めて。