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うたまくら くれは
歌枕 訪ねてみれば
面影の 見え隠れする
なりわいのあと。。。
歌枕を訪ねようと旅をした人は、古来からたくさんおられるようで、著作や歌などにその跡がうかがえます。
現代に生活する私たち、歌枕を訪ねて、伝わっている文字の背景を想像してみるのも、また楽し、であります。
謡枕(?)、くれはのさと、のあたりを歩いてみました。
くれは、謡まくら
くれは、表記は、呉服です。
呉羽とも書かれているかもしれません。
地名、古蹟名で、
謡曲に登場する言葉(謡まくら?)でも
あります。
※くれはとり、あやはとり、も
歌に詠まれる言葉のようです
呉服、現代の日本では、和服のこと?
呉の服、なので、呉の国から伝わった輸入文化による衣服のことだと推察します。
呉の羽、羽は服か布のことなのではないかと思い当たります。そのあたりの言葉を研究された論文もたくさん出ているものと期待(調べるのが大変そうで論文参照はしておらず失礼します)。。。
謡曲 くれは(呉服)、産業の由来がうかがえる作品です。主な題材は、繊維産業創成期の様子だと推察します。
素人の邪推解釈をしてみると、筋の流れに出てくる土地土地を回る人々(神々?)は、国の発展や産業の発展を確認してまわっていたのかもしれません。
くれはという伝説、池田市に伝わっているものの、関西各地に同様の話が残っているようで、池田市による情報でも、「伝承」であって本当のことかどうかはわからないとの書き方がされていました。
池田市がその場所ズバリではないにしても、登場人物、伝承の場所が、技術の伝来を表しているのは間違いないと思います。
機織り
謡曲「呉服」に登場する人物のうち特筆されるべきは、機織りの技術を伝えたことの象徴である、クレハトリ、アヤハトリ、という名の機織り姫お二人。呉服、綾羽、姫室、室町、など所縁の地名があります。このお二人が池田市にたどり着いたのが、猪名川沿いの唐船ヶ淵です。1500年前とも伝わるその頃、大阪湾の海岸線は今よりも内陸側に入り込んでいて、猪名川の水量も満潮時には水運に使えるくらいあったということでしょう。
彼女らの上陸地、唐船ヶ淵の場所が、川を水運で上る上限だったのでは、と思われます。
※伝 唐船ヶ淵のあたりの対岸から
なかの橋を望む
布をつくる?
なぜ、内陸まで上る必要があったのか?
水と材料ですかねぇ。。。
水=猪名川を取り巻く池田市、川西市のあたり、
よい水があったはずです。
山からの湧水、伏流水、が池田市には
流れてきており、そのあたりも
歌枕「猪名の笹原」だと思われます。
水が伏流している涸れた流れも見えます。
少し上流に行くと、炭酸水の水源で有名な
地もあります。
繊維の洗いや加工に、これらの水が
役立ったことでしょう。
材料=当時の繊維材料は、
藺草? 葦? 蚕の繭? 樹木由来?
柳の綿毛(柳絮)で布を作ったというのは
聞いたことないですが、作れそうにも
思えます。
1500年前には、すでに、
綿実も伝わっていたでしょうか?
布作りを伝えるには、
材料を確保したり、栽培したり、
もセットだったと思います。
山あり、平地あり、洲(川中島)あり、の
猪名川周辺が伝承の地とされるのは
頷けます。
技術の伝承という点では、1500年前(西暦520年頃)以降は官民に大陸の技術由来の衣服が急激に広まったと想像できます。乙巳の変(大化の改新のきっかけ?)という出来事が西暦600年代とすると、繊維の生産、利用がすでにあって、動きやすい衣服での争いがあったことでしょう。豊中市には、はたおり由来の地名と思われる、服部(機織り集団、秦氏の渡来は西暦が400年代とも。。。)というところもあります。
材料を生産したり確保したりして、さらに、材料を加工して、なんらかのマシーンで、布を織って、布を衣服にして、水運や手運び足運びで消費地に届けたのでしょうか?なんとなく、風景が頭に浮かんできました。
猪名川、猪名の笹原、歌枕
※写真=猪名の笹原跡? 伊丹空港周辺
※涸れ川に見えますが
このすぐ上流まで流水豊かで
伏流しています(たぶん箕面川)
※池田の高い位置から猪名川や六甲山系を望む
有馬山がどこかはよくわからないのですが
六甲を見透して有馬を想起したとすると
伊丹空港あたりで読まれた歌?
百人一首「ありまやま
いなのささはら かぜふけば
いでそよ ひとをわすれやはする」
絹を延べた?
絹延橋という橋もあります。絹を水で延べるというのは、後年、伝承からの名付けなのでは、と思われます。絹延橋は、池田市と川西市をつないでいる橋です。渡しや流れ橋で物流をつないだ地だと推測。
※池田市と川西市をつなぐ絹延橋
周辺を歩こうという方、池田市観光協会や川西市のサイトの確認から始めてみられるとよいかと思います。