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文から味・映像から味・イメージは味

江國香織さんの作品が好きです。「きらきらひかる」「こうばしい日々」「ぼくの小鳥ちゃん」「ホテルカクタス」そして「抱擁、あるいはライスには塩を」。味・匂い・感覚の表現がすばらしく、江国さんの本を読むと、文章から湧き上がるイメージのからリアルな味を感じることが出来るので、いつもワクワクさせられます。

ぶたさん−2

初めて読んだのはいつだろう、20年以上前、たぶん仕事がすごくすごく忙しかった夏。やっと休める1日の休みの前の日・・・明日何をしようか考えた時、久しぶりにゆっくり本を読みたいと思いました。・・・夕方休憩がてら本屋に走った・・・小さな本屋の入り口の平積みコーナーに沢山面白そうな本が沢山あったので、急ぎで数冊選んだ・・・その数冊の中で一番魅力的なタイトルは江国さんの「すいかの匂い」でした。 

次の日はすごく暑かったけど、自宅マンションのベランダでその本を読みました。読み終わった後もずっと鼻の奥に「すいかの匂い」がまとわり付いているような気がしました。

江国さんの小説やエッセイを読むと、ストーリーに関係ない何かを思い出されます。 特に味や匂いの記憶。

あの日「すいかの匂い」を読んだ後も色んな匂いや味を思い出しました。いや、思い出したと言うより 実際に感じたような気がしました。 小学生の時の夏休みの匂い・田舎の家の匂い・薪で焼いた路地のなすび、そしてあの日の「すいかの匂い」

子供の時スイカがあまり好きじゃなかったのですが、でも一度小学生だった私は、父の田舎の山村の牛小屋で、湧き水で冷やされた大きな真っ赤なスイカを食べて、心から旨いと思った記憶があります。それが自分にとって一番の「すいかの匂い」でした。

個々の味覚は経験の上に構築され、感動は経験を基準とした上限ラインを少し超えた時に感じるもの。江国さんの文章は、自分の基準ラインをするりとくぐって味覚をさらっと撫でる。なんか恥ずかし記憶を見つけられたみたいでバツが悪い。その恥ずかしいような感情が味の記憶に引っかかり、明確に思い出さされ、かなりしっかり味を感じる。  

ふわっと心を撫でられる。

私は知識がないのでインターネットで色々な文や映像をみるようにしています。大阪芸大の先生をされている岡田 斗司夫さんの昔の映像を時々見ます。評価経済というお題でよくお話されていて、お話が上手で切り口が面白く、いつも感心させられます。岡田さんが動画の中で話されていてびっくりしたのが・・・最近ネットを良く使う人々は、一万円の焼肉を食べるお金があってもその高価な焼肉は食べに行かず、一万円を取っておいて家で安値の牛丼など食べながら、高価な焼肉を食べている人の映像やブログを見る。そして高価な焼肉を食べた気になる。驚いた事に、その方がより良い満足を得られる人が多い・・・というお話。 

同じような話題が柴田元幸さんの「つまみぐい文学食堂」という本にあります。・・・主人公は、ベトナム戦争後の極貧のホーチミン市に住む 低所得労働者。唯一の楽しみは、西洋の料理書を読む事で、毎月 薄給を新しい料理書購入に費やします。しかし写真入りの高価な本は買えません。そしていつも安いインスタントラーメンを食べながら、そのレシピ本を熟読して、今だ見たこともないその料理を食べた気になる。 

視覚から味覚へ、そしてもう一度視覚へ

食べ物の味は、その食べ物の味の要素だけから得れるものではありません。状況・環境・健康・感情・経験・分析能力など様々な要素が加味されて その輪郭を現します。

ゆえにあの日のたった一度のあの味なのです。

ぶたさん−3

だから、私があの日のスイカをもう一度食べるには、例えば「すいかの匂い」を読んでフラッシュバックを味わう。それが・より現実的に・”その味(あの味)”・を・”味わう”方法なのではないでしょうか。 

・・・味覚は悲しいのです。


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