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【読書感想文】ナラタージュ / 島本理生

📚内容(BOOKデータベースより)
お願いだから私を壊して、帰れないところまで連れていって見捨てて、あなたにはそうする義務がある―大学二年の春、母校の演劇部顧問で、思いを寄せていた葉山先生から電話がかかってきた。泉はときめきと同時に、卒業前のある出来事を思い出す。後輩たちの舞台に客演を頼まれた彼女は、先生への思いを再認識する。そして彼の中にも、消せない炎がまぎれもなくあることを知った泉は―。早熟の天才少女小説家、若き日の絶唱ともいえる恋愛文学。

📚読書感想文
ひと夏の青春を描いた物語。幸せだけがトゥルーエンドじゃないことを再認識させられる。わたしの読んだ島本さんの作品はみんなそうだったけれど。
なにより、間を描く巧妙さに心を奪われる作品だった。

(以下、ネタバレを含みます。)

泉と葉山について。
不毛な恋ほど手放せないのは何故なんだろう。
叶わない恋なんて幸せになれないのだから、とっとと手放して、あたらしく幸せになってしまえばいいのに。自分でもわかってはいるのに、そうできないのはどうしてなんだろう。
奪略愛とか、そんな野蛮なものでもない。その人が好きで、大好きで、幸せになってほしくて、でも幸せにするのは自分じゃない。誰かのもとで幸せになってほしい。とはいいつつ、その人の心が病むのを願っているような気もする。そうなったとき頼りにされるのは自分だと思っているし、実際そうだ。幸せになってね、とリリースして終わりにできない。たぶん、自分と同様の不幸(あるいは心の欠落)を持っていてほしいんだと思う。それってほんとうはすごく気持ち悪い。
それでもどこか共感してしまうから不思議で、泉はわたし自身を見ているようで、いつも胸が苦しかった。
葉山はずるい男だと思う。泉の好意に気づいていて、甘えてもいて、しかし一線を越えなかったのは教師と生徒だからなのか。自分がほんとうは妻帯者だからなのか。あるいはそのどちらもか。良心の呵責があったんだろうけれど、それにしたって泉には酷だ。結果的には泉のことを騙していたわけだし。身体の関係はなくともある種の不倫だと思うし。
再会すればまた熱をあげるなんて、お互いに絶対わかっていたはずだ。しかも今度は教師と生徒の関係でもない。それをよしとしたのもお互いだ。
ずるい男だ、と思う半面、葉山に惹かれてしまうのもわかるから苦しい。わたしがいてあげなきゃ、というのは驕っているかもしれないけど、そう思わせるのは彼が巧みなのだ。離れなきゃと腹を括っても、後ろ髪を引かれて、けっきょく抱きすくめられてしまう。自分の欠落部まで埋められる気がしてしまう。
たぶん、泉も葉山も、不幸体質なのだ。不幸な自分がかわいくて仕方ないし、それを受け容れて埋めてくれるのはお互いだと知っている。四六時中いっしょではだめで、だからふたりは結ばれない。
泉の結婚生活が停滞する頃に、ふたりは再会するかもしれないなと思う。

小野くんについて。
世間一般に、彼はかわいそうに映るのだろうか。不毛な恋に心を焦がしている泉に恋をして、付き合って、けれどやっぱり彼女の気持ちは葉山に向いていて。携帯を見せろと言ってみたり、勝手に手帳を開いたりする。こわい思いをしている泉に「そこまで迎えに行ったら俺のこと好きになってくれる?」などという。自分に気持ちのない泉を無理やり抱いたりする(そのときの泉は恋人じゃなくてただの肉塊だったと思う)。別れ話をする彼女に、屋外でそこで手をついて謝れと言う。
若さなんだろうとは思う。泉のことが好きで、必死なんだろうとも思う。たしかに彼は不憫だと思う。けど、なんか違うんじゃないか?
泉のことが好きだからそういう行動に至ったのではなくて、自分を蔑ろにした彼女が許せなかったんじゃないかと思う。自己肯定感が強すぎるのか、ほんとうは自信がないゆえの虚勢だったのか。どちらにせよ気持ち悪いし恐怖でしかない。
もっとも苦手な男性のタイプだったので、かえって印象に残ってしまった。でもそういう男性ってけっこういる気がする。別れるときに捨て台詞残すタイプ(偏見)。

柚子について。
駐輪場で強姦魔に襲われたのをきっかけに心を病んでしまった柚子。誰にも相談できず思い悩んで、ついには自害を決めた。
純潔を汚されてしまったことに病んだのか、それを誰にも相談できないことに病んだのか。恐らくはどちらもだろうけれど、自害に至ったのは後者の理由が大きい気がする。気兼ねなく相談できる誰かがいて、一緒に悲しんでくれるとか、一緒に腹を立ててくれるとかすれば、結果は違ったんじゃないだろうか。事象が事象だったので、新堂にも言い出せなかったようだけど。結果的には彼も病んでしまったんじゃないだろうか。失踪したあとのことが心配である。
柚子の結末については、泉のアナザーエンド的な役割もあるんじゃないかと見ている。そこに葉山が現れなかったら。あるいは、柚子のそこに、葉山のような誰かがいたら。そう考えてしまうのは穿った見方だろうか。

総括して。
本書に描かれる期間はひと夏だが、これは比較的ページ数の多い小説である。丁寧に描写される心の機微と、精細な情景描写がそうさせたのだと思う。情景描写の担う役割は、その場の説明のみに留まらず、絶妙な「間」を作りだすのにもひと役買っているように感じる。とにかく「間」の描き方が巧妙なので、掌中で転がされるように緊迫してしまうし、余韻に飲まれてしまう。ひとつの心理描写のあとに情景描写が続けられると、その感情を引きずったままになってしまう。それがとてつもなく巧い。
夏の蜃気楼のように切ないこの物語は、つねに美しさを孕んでいる。有名作なのにどうしてこれまで読んでこなかったのだろう。

ナラタージュが好きなひとは、たぶん同者の著書「Red」も好きだと思います。是非。
(Redも映画化もされましたね。ちょっと見たい。)

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