地球最期の日
最近は、地球最期の日について考えている。
なぜか惹かれていて、自分でも不思議。
映像も観てる。
地球に彗星が追突する『ドントルックアップ』、
直接的に関係はないけれど、宇宙人についての韓国ドラマ『グリッチ』、
天変地異について考えた『すずめの戸締まり』、
もう一度と見返した『天気の子』、
そしてスペシャで公開されてる中村佳穂さんの『観測:中村佳穂』のCASE11。
地球最期という恐怖に苛まれそうな事象なのに、その儚さに心打たれてしまうのはなんでだろう。
彗星が太平洋に向かって一直線に進んで、
太陽が地上に降りて重力が狂う時。
もしくはブラックホールに吸い込まれる瞬間か。
悲しくて仕方ないのに、なぜかほっとする気持ちがあって、そして目の前にいる誰かがたまらなく愛おしくなると思う。
死ぬのが怖いのはみんな一緒で、その原因が最も怖くて、だけど地球最期ならだいすきな人を残して死ぬわけではないし、防ぐことができないからどうしようもないし、「みんな一緒だ」と手を繋ぐことができる。
だから多分、安堵を感じると思う。
人々が最期の瞬間、思い出すのは、きっと素敵な記憶だろうと、勝手な解釈をしているからだろうか。こんなふうに思うのは。
中村佳穂さんの考える最期の日が素敵。何回観てもぐっとくるものがある。好きな布団を被って好きな人と。安心と、楽しい気持ちで。
まだはっきりと決まったわけではないけれど、
私は、すきな人を想って窓からぼんやり空を眺めたい。
地球最期の時の景色はきっと綺麗だろうから、写真に残しておこうとスマホを構えて、ああもう意味ないんだったと、ベッドの上に投げ捨てる。
そうして目を瞑って、これまでのことは全て間違いではなかったと、心の中で唱える。
あくまで、気持ちは安堵で。
最期くらいは、最期だけでも、
素敵な思い出で頭の中をいっぱいにして、嬉しい気持ちでいたい。
私がだいすきな人も、私がきらいな人も、私をきらいな人も、みんなそうであればいい。
きっとできるよね。僕らなら!