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打つ自由と打たない自由。
"コロナワクチン"
今回のテーマというか、お話はコロナワクチンについてです。
早いひとでは、もう3回目の接種は終わっているのでしょう。
今回は打つ自由と打たない自由というもの。
どちらかと言うと打ってる人の方が多いのだろうと思いますが。
例えば打った人が陽性になるとする。
打っててもかかるのか…とか打ってたのにかかったということで仕方ないみたいな話になるわけです。
実際に同じ部署の人の家族全員かかったけど、3回接種していたその人だけかからなかったとか。
で、最近また同じ部署の人から陽性者が出ました。
家族がかかり、その人も調べたら陽性だったとか。
その人は1度も接種していない人だった。
そうなると3回接種終わってる人たちが打ってなかったからと言い出すわけで…。
まあ結果はそうかもしれないけど、普通に暮らしていてもかかる可能性は誰にでもあるのに。
"接種していないから"
そう言われている。
打つことが正義ですか?
打たないことって悪いことなのだろうか?
という気持ちにはなりますね。
打つ自由、打たない自由ということにつながるんですけどね。
実際打ってる人の方が多いのか?
打ってない人の方が多いのか?
だけど打たない人はいるわけで。
別に悪いことだとは思いません。
自分で決めて良いんだと思っています。
わたしは医療従事者の括りの中にいますが…接種は1度もしていません。
だからどちらかと言うと打ってない人の方の立場で。
今回も陽性になった方のことを打った方たちが悪く言ってたけど『わたしも打ってませんけどね…』と言い続けてました。
でもやっぱりそういう状態になると、仕事は滞ります…。
濃厚接触者となった方は検査もすることなく、休まないといけなくなっていたり。
その人が出れない代わりに夜勤になったりもしたけど…。
まあこんな誰がかかるかわからないものは…仕方ないなあって思います。
ちゃんとマスクしてても家族が感染したとかでは防ぎ用ないし。
いずれ自分もかかるかもしれないわけだし。
きっとわたしは打たないし、だけどそれは正しいとか間違えとかでもなくて。
わたしの選択、わたしの考え方が正しいし、あなたの選択、あなたの考え方が正しいのだと思います。
きっと誰の考え方も間違えではないとわたしは思います。
今回はあんまり誰かの意見が聞きたいとかではなくて、書きたくなったので書いてみました。
読んでくださりありがとうございました。
おわり。