「障害者介助の現場から考える生活と労働」ー介助という深淵
何気なく手に取ったけど、面白かった。障害者介助に関わる人たちによって、「介助」の本質に迫る様々な悩みや、ストーリーが描かれている。自分の中で統合しきれていないけど、非常に印象的な断片が数々あった。
たとえば、複数の方々が実名・匿名で、影響を受けたと名前を挙げていた新田勲さんの話。重い言語障害があるため、足文字を使って介助者に言葉を発声させる。そして足文字で闘う新田さん。
たとえば、野宿と介助の関係。テント村で暮らす、介助する人とされる人。そこから、地域生活とはどんなものか考えさせられる。住居に暮らしつつも孤立する、住居が個々の施設のような地域生活と、いろいろありつつテント村、どちらがいいですかと問われてくる。
そして、これはこの本の中心的な位置づけでもあるように感じたけど、介助が仕事になることの抵抗感、なんて、ボランティアは美しいけれども実態は「やりがい搾取」とかいうイメージを持ってしまっていた自分は、考えたこともなかった。私の理解では、「お金をもらう」「渡す」ことで発生する指揮命令系統、上下関係におかれてしまうことへの抵抗感のようである。
「労働」という概念を変えねばならない、寝たきりの障害者にとっては、「寝返りを打つ」「おむつをかえてもらうために腰を上げる」ことも労働じゃないか、なんて話まで出てくる(高橋慎一さんの章)。このあたりの話は、なんとなく言いたいことがぼんやりとわからないようなわかるような、自分でもまだ消化しきれていない。お金をもらえること、もらえないこと、という切り分けでなく、自分が「がんばって」行うことを、積極的に社会の中で意義づけていこうということだろうか。
介助は、誰でもいいからできる人がやればいい、というような問題ではない、と切々に訴えかけてくる。ほどほどの労働でほどほどの生活、を赦してくれるほど、介助の職場や障害者福祉は「甘くない」らしい。
けど私は、限られた人々だけ非常に依存を受ける、という状態をなんとか解消できないだろうか、と思う。初対面の人々が短時間次々やってくる、なんて形で介助が成り立たないのは私でもわかるけど、もっと関わる人の範囲を広げて、みんながもっと「ラク」にできる方法はないだろうか。
介助とジェンダーの話も面白く、介助は、無意識で行っている行動を、意識化させる、といったあたりははっとさせられた。
トラウマを持った人がどんな考えで介助に関わっているかという「くも(仮名)」さんの渾身の文章もとても心に残った。