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今ここで私の見ている世界は実在するものなのだろうか

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こんな空を見ていると、「今ここで私の見ている世界は実在するものなのだろうか」と思うことがある。


もうだいぶ前の冬の夕方のこと。
大学病院の小児科で1ヶ月ほどボランティアをしていた私は、その日、いつになくぐったりと疲れていた。

アフリカから来た、現地語とフランス語しか話さないお子さんのお相手という仕事で、忘れかけのフランス語を引っ張り出さなくてはならない疲れと、詳細は省くが正義や偽善、嘘や優しさが渦巻く現場になんともやりきれない気持ちになったのだ。

12月の夕暮れは早い。本来なら明るいうちに家に着くはずだが、外に出るとあたりはすでに暗くなって、西の地平近くに夕焼けの名残が今にも消えそうにぼんやり見えた。家で待つこどもたちのことも気になった。

幸い、夫の職場が近くだったので、車に乗せてもらって帰ることにした。
10分ほどゆっくり歩いて駐車場に向かう。この道路を渡ればもうすぐそこだ。

ドイツは右側走行であるので、まず左方向を見て車が来ないことを確認し、渡り始めた。
右方向からは車が来ているが、中央分離帯で待ってやり過ごしてから渡ればよい。

ところがーーー
数歩進むと背筋がひゅうっとなった。

あるはずだと思っていた中央分離帯がない。

道幅はそう狭くない道路だから、中央分離帯がないにしてもセンターラインあたりで止まっていれば安全なはずなのに、どういうわけか私はとっさに駆け出してしまった。

近づいてくる車がスローモーションで見えた。
キィィィッというブレーキ音が聞こえるとともに、右目の端にヘッドライトの光がさっと流れ……気がつくと私は反対側の歩道に立っていた。

「Achtung!!(気をつけろ!)」という大声とともに、車は走り去っていった。
そのあとの不思議な静寂を私は忘れることができない。

もしかして、さっきまでの私は車にはねられて死んでしまったのではないか。

ぼんやりとそう思った。ここにいる自分は意識の中で続いている自分であって、これからはこの世界で生きていく。

「ごめん、遅くなった」と現れた夫を見たとき、私は見慣れた世界に戻った。

それでも……いまだにふと思うことがある。
「今ここで私の見ている世界は実在するものなのだろうか」と。

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