『教育』の基盤は”より良く”の積み重ね
先日、0歳児の母である友人と話していた時、その友人が自分の子どもに名前をつける意味を考えたと聞いた。
「名前って、呪いだからね。」
とはいえ名前をつけないわけにもいかず、でも「音」でも「文字」で性別を区別するような名前をつけることに抵抗があり、自分なりに中立的な名前をつける、という決断をしたそうだ。
先日、僕にとって京都の溜まり場的存在である特定非営利活動法人グローカル人材開発センター(通称、グローカルセンター)の設立10周年記念イベントへ参加するため、QUESTIONにお邪魔してきた。
昼の部のメインセッションが、ウスビ・サコ先生(京都精華大学、前学長/全学研究機構長/人間環境デザインプログラム教授)と中村多伽さん(株式会社taliki、代表取締役CEO /talikiファンド代表パートナー)の両スピーカーを迎え、我らが行元 沙弥(グローカルセンター代表理事)がモデレーターを務める『教育を考える』がテーマのものだった。
冒頭の「名前は呪い」を出したのは、このセッションの中で「教育」を考えるのに「教える」という言葉が全く出てこなかったからだ。「教えるから、”教”育」という名前に縛られてきたから、今「教育」を考え直す必要があるのではないか?
それが今回のセッションを聞きながら、僕の頭の中で反芻された”テーマ”だった。
”教えない”のが真の「教育」?
教えずに答えに自力で辿りつくための「問いかけ」
繰り返すが、「教育について考える」セッション中に”教える”という概念が全く出てこなかった。むしろ、「教えたら、ダメ」とまで言っていた時もあったくらい。日本の小学生の「なんでサコ先生の肌の色は自分よりも黒いの?」という問いに対して、サコ先生とのやりとりを通しながら自分で答えを導き出していく過程の話はめっちゃおもしろかった!サコ先生から直接聞いてほしい話だが、簡潔に言うと、
「先生の肌は何で黒いの?」
「テニスをやってるからだよ。」
「え〜、でも僕のお父さんもテニスやってるけど、そんなに黒くないよ?」
「う〜ん、きっとお父さんはまだ真剣じゃないのかもね。」
こんなやりとりをしながら、子どもたちは自分なりに「サコ先生の肌が黒いのはテニスのせいじゃない」と気づき始めるそうだ。そして、自らだんだん核心へと迫っていく。「ここで大事なことは、僕は彼らに答えを渡さなかったことです」とサコ先生は言っていた。「何でこうなのか?」「それはこうだからです。」がこれまでの教育だったのかもしれない。”知らない”人が”知っている”人に聞いて、答えを得る。人生の長さから見て、”知らない”ことが多い子どもに対して、”知っている”ことが多い先生という大人が答えを渡してあげる=教えてあげる、これが当たり前の構図だったし、今でも人が信じている『教育』なんだろう。
educationは「養い育てる」が語源
「education (教育)という単語にはどういうニュアンスが含まれているんだろう」とふと気になって、セッション中にググってみた。
education
語源は「educare」というラテン語「養い育てる」から来ているようで、これは地球上の生きとし生ける全てのものに適用される言葉のようだ。
teach
語源は「tacen, token」という古英語で「示す、見せる、しるし」から来ているよう。「教える」と直訳しがちであながち間違いではないが、「知識を与える」とまでもいかない印象がある。
意外と、「教える」を前面に出しているのは日本語なんだな。
これは完全に個人的な意見であり感覚やけど、「教える」って「育てる」より簡単なのかなと思った。先述の例でいうと、「教える=聞かれたことに対して答えを渡す」ことで、一番時間がかからない。Google検索することも、ある意味「教えてもらっている=教育」とも言えちゃうかもしれない。それに対して「育てる」っていうのは時間がかかりそうだ。時間がかかる分、相手に相対することが多くなりそうで、向き合っている感はとてもする。
特に学校は決められた時間の中で授業を進めないといけないし、学習指導要領に沿って決められた期間で完了すべきことがあれば、「向き合いたくても無限に向き合えない」から、時間的制約がある中では「手っ取り早く教えちゃえ」ってことも当然あるんだろうな、その積み重ねがこれまでの教育のあり方だったんだろうなと考えた。
「教える」じゃなく「アップデート」
「じゃあどないせえっちゅうねん!」って話なんやけど(笑)、個人的にこの日にキーワードとして得たのが「アップデート、改善」。
この日に行ったグループワーク「現在の教育制度を見つめ直して、未来の理想的な教育システムを考えて、これからそこに辿り着けるようなアクションを考える」で、僕はマダガスカルとマリ共和国出身の人たちと一緒のグループになった。もちろん現状の教育システムを見つめ直すフェーズでは”不平・不満”のような意見がいくつか出たんやけど、マリ共和国出身の彼が共有してくれた言葉が頭にこびりついて離れなくなった。
「でもやっぱり、マリと比べたら日本の教育は優れている部分がいっぱいあるよ!だから僕はここで学ぶ機会を得られて嬉しいんだ!」
ハッとした。そう、何事も完璧なんてない。現状に不満があっても、この現状に至るまでにいろんな人たちがそのときのベストを求めて積み上げてきたものがあるんだと。今あるものが現在にそぐわないならベターを求めていけばいいわけで、これまで積み上げられてきた歴史をただ頭ごなしに否定して潰さなくてもいいのではないか。
「今ある姿をリスペクトしながら、”より良い(ベター)”を追い求めて、これまで積み上げられてきたものにさらに積み上げる、もしくは一部を取っ替える」という『改善』が、まさに『教育』の本質なのではないか。
知らなかったことを、知る
できなかったことを、できるようになる
気づかなかったことに、気づく
なかったものを、得る
未知が、既知になる
やったことない、が、やったことある、になる
そしてこれは(少し話が逸れるけど)、人と接するときにも意識するべきポイントなんじゃないかと気づいた。自分と価値観が違ったり、「何でこうしないんだろう?」「何でこう言っちゃうんだろう?」と思ったことは誰しもあると思う。そのときに相手の気持ちやこれまでの変遷を知ろうともせず、「こうした方がいいよ」「こうしないとダメだよ」「絶対こっちの方がいいから」と言うのは相手を蔑ろにしてるなって気づいた。彼らには彼らの”歴史”があって、これまでの人生でかかった時間だけ積み上げてきたものがあって、その上で自分が好きじゃない自分がいるかもしれなくて、でもそこと向き合ったり避けてきたりする中で、周りからズバッと刺されると開く心も閉じちゃうよなぁって。
「頭ごなしに否定して新しいものを建てる、より、現状と向き合って少しずつ改善していく」
「もし全く新しいものを作るとしても、それはこれまで積み上げてきたものと向き合った結果、その方がベターだと判断したとき」
そうやって考えていけば、きっと少しずつでも理想な未来が想像できて、その未来を待つのではなく自分で作っていっている実感が沸くんじゃないかな。そう感じた!
『教育』に変わる言葉
冒頭の「名前は呪い」にあるように、”教える”が入った『教育』という言葉そのものが今の仕組みの元凶とするなら、『教育』という言葉に取って代わる新しい言葉があればいいのかな?アイヌの人たちは、「綺麗な名前、美しい名前はかえって神様に目をつけられてさらわれちゃうから、幼少期の子どもにはあえて汚い名前をつける」という文化があり、「ウンコ」にあたる名前をつけたりすることもあるそうだ。ある程度大きくなった段階で、その子の性格や特徴を元に「その子の名前」をつけるのだとか。でも、さすがに『教育』に汚いイメージはつけられない(笑)。
ここまでの流れで言うと、僕の考えを言うよりも、みんなで考えるきっかけになると嬉しいな。
実際まだ思いついてないから「答え」さえないんやけど、キーワードはいくつか思いついた。
「改=”改”善、考えを”改”める」、「広=知識を”広”げる、世界が”広”がる」、「学ぶ=”学”習する、”学”を深める」、「可=”可”能性を増やす、”可”能になる」「覚、醒=”覚”える、目を”醒”ます」「解=問題を”解”く、”解”る」「開=新しい扉を”開”く、”開”ける」
昔は「”教育”という言葉を考えよう、とかあえて言う人はただのイキリ」って穿った見方をしてる自分がいたけど(笑)、「教育に取って代わる言葉を考えるワークショップ」も面白かったりするのかな?
みんなは、どんな言葉を思いついた??
あ、グローカルセンター10周年おめでとう!!!!!
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