コストパフォーマンスにわたしの本質が侵食されているかもしれないという気づき。

自分のことをケチくさい人ではなく、大雑把な人だと思っていた。
細かいことは気にせず、こだわりなく、順応性が高いと思っていた。
でも最近、わたしはかなりコストパフォーマンスを重視して生きている人間かもしれないという疑念が強くなった。


きっかけは、植木先生の心理学に関するYouTubeだ。"遅刻しやすい人は、だらしないのではなくて、コスパが気になりすぎることが原因かもしれない"という話が思いの外、自分の心に刺さったのであった。

普段の生活を思い起こしてみたら、コスパを気にする場面がかなり多かった。
1日の過ごし方も、"いかにたくさんのことができたか"を意識してしまう。その結果、夜寝る前に、今日あれもしたかった、これもしたかった、と欲張って寝るのが遅くなる。朝の支度も、時間があるならこれも持っていきたい、と余計な準備を挟んだ結果、遅れてしまいがち…。あとは、時間があるなら歩いて移動しよう、コンビニに寄っておこう、ICカードチャージしておこうとついつい考えてしまい、意外と時間が経っていたりもする。

時間だけでなく、お金もそう。"同じ金額で「必要としているもの」がより多く買えるか"、が気になる。だから、大きな物を買うときも、絶対に使う、もとが取れると確信がないと挑戦できない。コスパが気になりすぎて、不便なまま生活していることもある。
新しいファッションに挑戦したいと思っても、着回せなかったらどうしようと思い、結局購入しないこともある。

人間関係でも、こちらが気を遣わず、少し話しただけでも深い満足感を得られるような、気の合う人とばかり付き合ってきた。だから、「深い関わりの人」「他人」という、二つのカテゴリーしかわたしの中には存在しない。気の合わない人とは一緒にいなくてもいい、と考えてきたが、それは価値観に基づいているのではなく、単に"時間や交際費、気を使う労力に見合った満足感が得られるか"というコスパを意識しているだけなのではないかと思えてきた。



いつも、"最小限の労力で最大のものを手に入れること"を知らず知らずのうちに気にしている自分がいる。

どうしてこうなったかを考えると、以下の三つに分類できた。
理由その1、自分の体力、気力、経済力に自信がないこと。
理由その2、満足できる結果を得られるように、労力やコストをかけてまでコミットする勇気が出ないこと。
理由その3、変わりたい、挑戦してみたいという自分の心の声をおろそかにして、目先の充足感をもとめていること。


コストパフォーマンスが気になりすぎて、楽しく生きられていないことも多い。夜には、今日一日、あれもしたかったこれもしたかった、、と押しつぶされるような気持ちになることもしばしばある。挑戦したかったことがあっても、物が増えてしまうからお金がかかるからと思うとブレーキがかかることもしばしばだ。人間関係でも、他人に対して期待せず、仲良くなる気が端からないように接してしまう。
これはなかなか由々しき問題だと私は思う。
あまりにも、わたしの本質がコストパフォーマンスに侵食されすぎている。


2022年、わたしはこの性質を変えたい。
自分で決めたことに対しては、きっちり労力やお金をかける。そういう人になりたい。

設備投資をして、作業が捗るようにする。
快適に暮らせるように、住環境を整える。
「他人」ばかりのコミュニティでも安心して過ごせるように、普段から少しずつ労力を使って人間関係を構築する。
好きなことにも没頭できるように、時間をかけたり、ものを揃えたりを惜しまない。
何より、コストパフォーマンスの高い手段よりも目的をまっすぐ見据えたい



2022年は、自分の考え方のクセを緩めていく1年にしてみたい。もっと、素直に柔軟に。そして、労力とコストをかけても、力が最大限発揮できる環境を整えることができたらいいな。


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