塗らない・時間を捨てない・余白
「わかる」というのには三段階ある。
第一段階は「あれはウクレレやね」「あれはドラえもん」と、物体を認識する。
第二段階はウクレレやドラえもんと自分との関係ができる。
「ピーマン苦手」というのも、「ピーマン」と「自分」の関係が生まれているので第二段階。
第三段階は自分の中に入ってしまう。
わかりやすい例で話そう。
2日木曜夜、たまたまテレビつけた。
日本シリーズ、甲子園、タイガース対オリックス。
8回ウラ。
2点リードされていたのが、この回だけでタイガースまさかの6点。そして逆転勝利。
「ああ。野球やってんのね。どことどこ? 阪神と・・・オリックス。はいそうですか」
この人は、タイガースであれ、オリックスであれ「知ってる」にとどまってるから第一段階。
「タイガース行け! 逆転してしまえ!! やった! やった! しゃ‐‐‐‐‐‐‐!!」拍手喝采、ご近所迷惑欧陽菲菲なのが「タイガース贔屓」という第二段階にいる人。
「オリックス負けるな! ここが踏ん張りどころ。ピッチャー変えようよ。なんか、ゲン悪いぜ」と熱くなってる人も、「オリックス贔屓」で第二段階。
今朝、仕事へ向かう車の中で、「さあ。どうするかな。今日の試合。先発は誰がいいか・・・」と「監督」している人がいる。ここまでくると、「タイガース」であれ「オリックス」であれ「自分の中」に入ってしまっているから、第三段階。
ブランディングの本質はここにあって、
知ってる
贔屓にしてる
自分の中にある
という「わかる」段階をいかに高めていくか。
結婚記念日ディナー。
お気に入りのご近所ブラッスリーに。
前菜から、どれも美味しく、写真撮ってない。
写真撮る、ということは、料理と自分の間にまだ距離がある。
あの店の料理はすべて、「自分」に入ってしまうから、写真撮るのを忘れるのだ。
いまスマホ見たら、たった一枚だけ撮ってた。
スパーリングの次、2本目のワインは白にしたんだけど、これも美味しくてね。
記録のため、撮った。
イケメンソムリエは多くを語らない。「私、このワイナリーに行きましてね。いい人たちが作ってるんですよ」以上。いいよねー。
ここの料理は、素材が良い。だから前菜の中に使われていたぶどうの味、いまも蘇ってくる。ぼくの中にある。大間のマグロも素敵だった。
「この料理はシェフが3時間かけて煮込み、特製のひょうたんを使って裏ごし、中火で4時間焼いたものです」
などというヤボは言わない。
ただ、素材がどこの産まれか、だけの説明。これがぼくたちにとってはとっても好ましく、「自分ちの店」になってる。
だから人には知らせたくない。自宅を見せるような気恥ずかしさがある。
来年、あるリアル講座懇親会でお世話になるつもりだけど、それ以外では、聞かれても、教えたくない。
本当のファンというのは、そういうものだと思う。
素材、手を加えない。
これは経営の要諦でもある。
そのために何をすればいいかというと、できるだけ余白の時間を持つ。
スマホをずっと眺めている
ワイヤレスイヤホンで音楽ずっと聴いている
というのは塗ってることになる。
子どもも同じで、学校から帰ってすぐ塾へ行き、勉強、勉強させるのは、彼らの時間を塗ってる。
あるいは、「あなたの会社が90日で儲かる!」みたいな、時短をやるというのは、その分の時間を捨てることになる。
経営というのは、上に書いたように、「関係」を丁寧に築き、いかに「自分」の中に入れてもらうかの丁寧な仕事だ。
それが一朝一夕で叶ってしまうのは、人生の大切な時間を捨てているのと同じ。
塗らない
時間を捨てない
余白を大切にする
がいいと思います。