「ながら瞑想」しよう
ユヴァル・ノア・ハラリは『21 Lessons』の中で瞑想の大切さについて語っている。彼にとって神や天国についての宗教神話も、祖国やその歴史的使命についてのナショナリズムの神話も、愛と冒険についてのロマンティックな神話も、経済成長と、物の購買や消費が人を幸せにすることについての資本主義の神話も、すべてがみな虚構、作り物だという。
そんな彼が瞑想に出会い、以来、毎日2時間やり、毎年1ヶ月か2ヶ月、長い瞑想修行に行くそうだ。なんてヒマなのだ。
ぼくたちはそこまで時間を取れない。取れないけど、でも、瞑想はとっても重要で、ぼくは15年、ずっと生活のどこかに必ず取り入れるようにしてる。
瞑想というと、偉いお坊さんが結跏趺坐(けっかふざ)、何も見ず、何も聞かず、ただ異界に魂を揺らがせている、というイメージがあるが、ぼくのやってるのはもっとやりやすい簡易版。
たとえばいまこれを書いてるよね?
これ、瞑想しながら書いてる。
どういうことかというと、書く前にこれとこれとこれ、とかポイントを箇条書きにしたりせず、ただ「降りてくる言葉」をMacBook Airのキィボードに流すだけ。
だからいまこの時点で、記事がどのように着地するのか、自分でもわからない。タイトルは「瞑想しよう」としたけど、全部書き終えたら変えるかもしれない。だってこれから輪ゴム「オーバンド」の話になってしまわないとは限らない。
オーバンドって、大阪が世界に誇る発明品で、戦前からあった。
もともとは自転車タイヤメーカーだったらしく、どうしても加工時に端材が出る。その端材が現在の輪ゴムの原型で、ただ、伸びが足りないし、すぐに切れるから実用に適さない。そこで開発したのが現在の輪ゴム。当時と化合レシピはほぼ同じ製造をしているらしい。で、戦時中は輸入に頼らないと入手できない天然ゴムが・・・・
ってオーバンドの話、これはこれで面白いのだけど、今日は瞑想だよね?
戻します。
つまり、ぼくの瞑想は、目をつむるわけでもないし、座禅組むわけでもない。何かやりながら、なんだ。
時には掃除しながら。
歩きながら。
筋トレしながら。
電車待ちしながら。
電車に乗りながら。
これを始めて、スマホを見る時間が圧倒的に減った。
電車待ち時間ってさ、ホームでスマホ見るやん。たいてい。
でも、視線をぼやかして、ただぼーーーーーーーーーーーっとしてる。
外を見るのではなく「自分の内」をイメージする。
そうしていると、あっという間に時間経つよ。
そして呼吸。
今みたいにものを書きながらだと無理だけど、掃除しながら、歩きながら、電車待ちながらなんかだったら、自分のひと呼吸ごとに意識を集中する。
この場合は鼻から吸って、口から吐いたほうがわかりやすい。
ぼくは瞑想するようになってアイデアがよく湧いてくるようになったし、健康にもなった気がする。
ながら呼吸、おすすめです。あ。だからタイトルには「ながら」をつけよう。
*今日のカバー写真は、ついさっき銀行行ったとき、手前のポストにちょこんと乗っかってた靴。かわいいね。自転車の後ろかベビーカーに乗ってて、つい足からすべり落ちたんだろうね。