100%受け入れるために
「受け入れる」というとき、たいてい「論理」で見てる。「あの人のものの見方・考え方に共感できる」とか。「自分と同じ判断をするので安心できる」とか。
でも、「人を受け入れられる・受け入れられない」心理の奥の奥の奥には、もっと大きな要素がある。気づかないだけで。2つある。
第一に、空間把握力。お風呂のドアがあります。前にバスマット敷きます。あなた、どう敷きますか?
ぼくはこういう風に敷く。長辺とお風呂入口長辺を合わせて。
ところが妻は、短辺を入口に向ける。ちょうど上の写真のバスマットを90度動かした感じ。
これは良い、悪いではなく、「空間把握力」がぼくと彼女で違うのだ。
タイムマシンができたとし、明治や江戸時代、鎌倉時代の人と話して、一番違和感が生まれるのが、この空間把握力だと思う。
高層ビルがにょきにょき立って、飛行機で世界中あちこち飛び回る。新幹線でビューーーーンとどこへでも行ける、世界の情報がスマホに飛び込んでくる現代人の空間把握力と、北条泰時のそれは違う。確実に。もっと遡って、古墳時代の人とは話が合わないだろう。何しろ、山以外、高いものがないんだから。
漱石『坊っちゃん』。松山へ赴任が決まった坊っちゃんと清との会話。
(清が)「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。
「西の方だよ」と言うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。
これを坊っちゃんが「ずいぶんもてあました」と言っていて、これが清と坊っちゃんの空間把握力の違いだ。
同じ現代に生きていても、ライフスタイルで、空間把握力は違ってくる。
つきあってるとき「私は左よ」と必ず左を歩いて、手をつなぐのはぼくは左手、君は右手・・・というくらいであれば、空間把握力の差はわからない。わかるのは結婚し、長く一緒に暮らしたあとだ。
だから「良い」「悪い」で判断するとおかしくなる。「違うんだね。面白いね」。
「人を受け入れられる・受け入れられない」心理の奥の奥の奥にあるもう一つの要素は「体内時計」。
ぼくは速い。瞬間瞬間で生きてる。でも、遅い人がいる。
これは締め切り対応や入金のタイミングを見ればわかる。
ぼくは原稿締め切りが月末だったら、遅くとも20日には納品する。しかし人によっては30日締め切りなら30日に書き始める。ぼくにはできない。
入金も、ぼくは瞬間に済ませる。たとえ来月末が期限だとしても、いまわかっていたら、いま、振り込む。
これも、各自の体内時計がすることなので、「良い」「悪い」ではない。「そういうことなんだね」の話だ。
この、「空間把握力」と「体内時計」、あまり意識されない要素なので、見過ごされてしまう。そして論理で考え、「なぜ、あの人と合わないんだろう」。考える対象が違うから、答えが出ないのは当たり前なのだ。
何であれ、相手を100%受け入れるのであれば、「空間把握力」「体内時計」の2つも、知っておくといいかもしれませんよ。
いま愛聴しているアルバム。チャーリー・パーカーの良さが、ストリングスによって引き出されている。美しい。
実はチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーのような「似たもの同士」でセッションするより、これみたいに、「まるで違う」相手とやる方が本質が出ているんじゃないかな。
これと同じで、「まるで違う」と思っている相手が、実は最高のパートナーとなり、お互いの美しいところを引き出し合う、そんな気がします。