サンタなんか、いないから。
「サンタなんか、いないから。あれ、誰かが作った話。は・な・し!」
オカンの ドアップ顔、浮かぶ。
サンタいない → 誰かの創作 → だからクリスマスプレゼントなんか、期待するな
ぼくは五歳。シングルマザーになったばかりのオカン、思うところが多々あったのだろう。子どもの夢を砕くことが目的ではない。生活かかってた。
まわりのみんなには父親がいる。クリスマスプレゼントで萌えてる。お正月はお年玉いくらもらったという話題が出る。ぼくも大人からもらうことあったが、すべてオカンが回収した。「もらったら、返さなあかん。これは返しに使う」
ぼくはこの環境を、「自分がかわいそう」とはとらえなかった。
「自分は人と違う」と考えた。
そこいらのヤツと一緒はいや
という思想はここで育まれた。
シングルマザーのオカンに感謝。
「サンタクロースは誰かの作った話」がずっと残ってて、「では、作ったのは誰か」。
サンタクロースは、コカ・コーラが作った。
もともとサンタクロース伝説というのは北欧だかどっかにあった。でもイメージは小人の爺さん。
いまのぼくたちがイメージするようなふっくらした赤い服のおじいさんというのはコカ・コーラのコマーシャルで創造された。あの赤、コカ・コーラの登録商標™️。
マーケティングやるからにはと、コカ・コーラの広告宣伝について、勉強した。本書けるくらい知識ある(書かないけど)。
だからコカ・コーラの情報が集まるのだが、昨日見たのがこれ。
横浜みなとみらい、夜空に浮かび上がるサンタクロースやトナカイ、そしてコカ・コーラ(笑)
現場にいた人たちは感動したのかもしれないが、ぼくは途中で飽きた。
1225機のドローンで作ったっていうけど、これこそ
できること
をしたに過ぎない。
クリエイティブってのは
やる必要あること
をやってこそ、生まれる。
コカ・コーラのテレビ映像アーカイブ見てて、いまよりずっと面白いのは
できること
ではなく
やる必要あること
をやってたからだと思う。
思えば世の中、「できること」で溢れてる。
レジは客にやらせたい。できる?
できます。
人件費削減のため、ロボットに客席まで料理を運ばせたい。できる?
できます。
セントラルキッチンで調理をほぼ終え、現場の店舗ではチンするだけで完成するようにしたい。厨房スタッフ一人で済む。できる?
できます。
紙の通帳を預金者に渡してるけど、あれ、印紙税かかるんだよね。実店舗も人件費やら光熱費やら家賃やらかかるから、全部アプリにまとめて、客に自分でやらせたい。経費大幅カット。できる?
できます。
ドローン飛ばして、コカ・コーラのコマーシャルを夜空に浮かびあがらせたい。できる?
できます。
これらすべて、
やる必要のあることだろうか。
なんでこうなってしまったのか、昭和の頃のほうが面白かった。バブル時代のテレビドラマはいまよりずっと面白かった。なぜだ。
一つの仮説が浮かんだ。
ウィンドウズの普及と関係あるんじゃないか。
ウインドウズってのは、わかりやすくいうと、「オレのやりかたをやれ」と、ユーザーに強要する思想でシステムできてる。
ミュージシャン始め、アーティストにMacユーザーが多いのはこの思想と相容れないから。
ものごころついたときからパソコンはウィンドウズです
という人が仕事してる。
ということは、「オレのやりかたをやれ」で、きてる。
オレのやりかた以外は撥(は)ねられる。
つまり、
できること
だけをやるようになる。
あと、ユーザーIDとパスワードだらけというのもある。
あれ、何か一文字、どころか大文字小文字間違うだけで撥ねられる。
できること
になる。
世界中が、
やる必要のあること
ではなく
できること
だけで成り立っているのが現在の地球なのだ。
街が華やかに彩られても、
「サンタなんか、いないから。あれ、誰かが作った話。は・な・し!」
と言い切るシングルマザー。クリエイティブだと思う。