とらわれない・もたない
映画の話をします。
『あん』。公開時に映画館で観た。久しぶりにまた観たら、全く違う映画に見えたのが不思議だ。
登場人物全員に共通しているのは「囚われている」。
千太郎は借金返済のために、好きでもないどら焼きを、うるさい中学生たちのおしゃべりにイライラしながら作ってる。小さな店に、囚われている。
わかなは、子育て放棄した母親に、その生活に、囚われている。自活しようにも中学生だからやりようがない。わからない。
そのわかなの家には、カナリアが籠に囚われている。
どら焼き屋オーナーはお金儲けや世間常識に囚われている。ロクでもない甥っ子との将来を夢見ているが、本気というより、「おばだから甥っ子の面倒を見るのは常識」という程度だ。
そして、徳江(樹木希林)は、中学生くらいの年齢の時、ハンセン病にかかり、以来ずっと施設に隔離され、囚われている。
ただ、この「囚われ」は、物理的なものでも何でもなく、人間の作り出した考えに過ぎない。ハンセン病はいまや完全に治癒できるし、発症もほぼない。なのにいまだに偏見という「人間の勝手に作り出した考え」が人を囚える。
千太郎が囚われている「借金」、何もあの店でやる必要はなく、屋台をひいて公園でやってその儲けから返せばいいだけの話。店に固定されて囚われる必要は全くない。
原作者のドリアン助川さんはタオ(老子)思想の実践者で、だから映画にも存分にそれが込められている。
タオの考えを簡単に言うなら、「人間も自然の一部」「もたない」「とらわれない」。ハダカで生まれ、ハダカで死ぬ。なにももたなくていい。もつから、ストレスが生まれる。
確かに、登場人物はみんな「もってない」。千太郎も、徳江も、わかなも、何ひとつもってない。唯一もっているオーナーだけが、なんだか気の毒に思えてくる。徳江は施設にいるから、お墓さえ作らせてもらえず、亡くなったら木を植えるという。ぼくはむしろそっちのほうがいいと思った。墓なんざ、めんどくさいだけの話だ。残った人のためにあるのが墓であり、メンテナンスにお金や時間がかかるもの。それより木を植えれば、緑が広がる。
コロナ時代の、新しいライフスタイル「とらわれない・もたない」を考えるのに、最適な映画だと思います。もしまだご覧になってない方は、是非!
今日のパキ天。順調に育ってます!
ありがとう!