「これを機会に覚えてくれ」は、まったくのナンセンス
先週いっぱい出張、金曜夜戻ってきて土曜日JOYWOW京都遠足(23,239歩!)、日曜は翌日の準備、月曜、火曜と、新メニュー『ビジネスを育てる』読書会DAY1本番、新しい企画Noon Breathing(ヌーン・ブリージング、呼吸法の時間)実施・・・休む間がない。
そうこうしているうちに、WBC準決勝をアマゾンプライム・ライブで観て感激。にわかファンになった。
決勝が、本日22日午前8時からと知り、即座にJOYWOWは臨時休業と決めた。本当は朝8時半からオンラインミーティングを入れていたのだが、「WBC決勝応援のため」と正直に理由を話し、延期してもらった。
マイアミでやっている野球を同時刻に観戦できる。空間は無理としても時間を共有できるというのは、とっても禅的で、素晴らしい。画面の向こうのスタジアム観客も、結果知らない。もちろん、選手たちも知らない。日本のぼくたちも知らない。
まさに瞬間ごと、瞬間を共有し生きているわけで。LIVEって、素晴らしいし、ありがたいなあ。
そして。
大谷選手の「オレが決める!」という気迫の投球。一球入魂とはまさにこのこと。熱くなった。泣いた。
ホッとして、買い物に出かけた。ランチを食べ、夕食の食材を求め、帰宅し、テレビつけたら侍ジャパンのみんながインタビュー受けてる。時刻を見たら、現地時間2:13am!! もう、カンベンしてあげてよー。休ませてあげて・・・と思いつつ見てしまうんだけど(笑)
それにしても、ほんとうに、つまらない質問ばかりだった。マジ、選手たち早く休ませてあげたくなった。
ダルビッシュ選手に「いまの侍ジャパンメンバーでメジャーリーグと戦ったらどうなるでしょう」
今日戦ったやん。
ダルビッシュ選手も呆れていた。
特に大谷選手に対する杉谷さん(って誰?)の質問にイラッとした。
なぜイラッとしたのか、ちょっと考えてみた。
それは、杉谷さんが大谷選手に「見返り」を求めたからである。
「これを機会に私のことを覚えていただければ・・・」
托鉢というのがある。僧侶が街を歩き、出会った人がお布施を施す。
この時、渡すほうも、渡されるほうも、無言。
「ありがとう」は、不要。
なぜなら、「ありがとう」という言葉をもらうためにお布施するわけではないし、托鉢というものは広い循環の中の一瞬であって、giveでもgetでもない。まさに不一不二(ふいつふに)、施しと施されは、一つであり、二つ、二つであり、一つなのだ。
快挙を成し遂げたヒーローたちへのインタビューは、質問する側もされる側も不一不二であり、「これを機会に覚えてくれ」は、まったくのナンセンス。大谷選手、覚える必要なんて、ないですから。
他にも、テレビの実況アナウンサーや解説者たちにも違和感あった。なぜなら、グランドで野球やってる彼らこそが現役であり、解説者たちは「過去の人たち」ばかりであって、いまこの瞬間戦っている彼らとは違うから。「解説」できるはずがないのだ。音声オフにして観てもいいのだが、そうすると寂しい。スタジアムの歓声も消えるから。
禅は「イマココ」、瞬間瞬間こそが真。
侍ジャパンの快挙も、禅的にはすでに過去の話。
というか、いまこの瞬間には存在しない。
だから楽しい。
*追記;この記事公開後、「大谷選手と杉谷元選手、栗山監督は元チームメイトだった」と知りました。ただ、禅的にこの質問はアウトなので、ぼくの意見は変わりません(笑)スベってます。