昇る朝日を
パズルを解いてもらう。面白いので、休憩時間も休みを取ることもなく、参加者はみんな熱心にパズルに集中する。
「おつかれさまです。では、これから、パズルを一問解くごとに、1ドル差し上げることにしました。引き続きがんばってください」
どうなったか。パズルを解くには解くのだが、休憩時間になると、休むようになった。つまり、「仕事」になったのだ。
遊びは休みなくできるのに、仕事になると休みを欲しくなる。なぜか。
動機づけには「給与、能力給、昇進、フォロワー数が増える」といった「外発的動機づけ」と、「心の満足、やりがい、喜び、楽しさ、感動」という「内発的動機」がある。パズルの事例でいうと、当初は「パズルが楽しい、面白いからやっていた」内発的動機が、「1ドルの報酬」という外発的動機によって濁ったわけだ。
高校文化祭の準備。夜遅くまでやった。あれは残業手当が出るからではない。出るはずがない。ただ、楽しいから。
人間の自我の発達にはステージがある。
初期自我(原始自我)は、腹減った、うんちしたい、性欲といった、生物としての原初的欲求(イド)を満たしたい。社会性はない。赤ん坊から保育園、幼稚園へあがるまでの自我。
中期自我は授業中は静かにして、他の人の勉強のじゃまにならないようにする、自分もお世話になっているのだから、教室の掃除は進んでやる、といった、社会性が身につくことで育つ。ゴミの日にちゃんと出さないとか、分類せずに出す、という人は、いくら年齢が上でも、中期自我さえ育っていず、初期自我のまま、というわけである。道徳観も、中期自我に必須である。
後期自我は、親への反抗期を経て依存を自ら排し、精神的な自立・自律を獲得する。理性によりイドを克服する。健全な超自我が形成されることで、健康的な社会生活をおくることができる。
さらに、一部の人は、成熟自我へと行く。後期自我は、健全な社会生活をおくることができるのだが、実は「外発的動機づけ」に依存している。出世したい、金持ちになりたい、フォロワー数を増やしたい、日本最大の会員数オンラインサロン・・・すべて外発的動機づけであり、言ってみれば、現世的なのである。成熟自我は、内発的動機で動く。
ぼくの周囲の子どもたちは、「ただ絵を描いているだけで幸せ」「学校へ行く時間があったらゲームやってたい」という人が多く、彼女たちはみんな内発的動機で動いてる。学校? 進学? 知らんし。絵描いてるのが幸せだし。子どもたちはぼくたちより後で生まれてきているけど、でも、魂の年齢はかなり上、生まれた時から既に成熟自我を持っている。だから、後期自我、せいぜい中期自我の親を始めとする大人たちが何だかんだ心配したり、意見したり、「学校へ行け」とか「就職どうするの?」とかいうのは要らぬお世話なのである。一番やらなければならないのは、「彼らのじゃまをしない」。
一番問題なのは、いまの社会が、おおむね後期自我の人たちで動かされていることだ。たとえば仮想通貨一つとってみても、極めて現世的であり、外発的動機づけである。アメリカの経営を模範として、90年代以降、たとえば、360度評価とか、インセンティブとか、昇進、昇給システムとか、すべて外発的動機づけだ。冒頭のパズルの実験からわかるように、むしろ「働く喜びを削ぐ」方向へ動いている。
品川駅を川になって職場へ向かう人たちの「働く意味」が「外発的」だから「今日の仕事は、楽しみですか。」という「内発的」な問いに猛反発したのである。無理な問いだったのだ。
「ビジネスの世界におけるJOY+WOW+LOVE and FUNの総量を増やす」JOYWOWのミッションは内発的動機づけへとギアチェンジしようね、という呼びかけであり、実現するためにお金とかアタマの良さは要らない。いったん、「360度評価とか、インセンティブとか、昇進、昇給システム」といった外発的報酬を横に置く。そして、「自分は何やってたら幸せなんだろう?」と問いかける。自分に。文化祭を取り戻す。
ん? 家のローンがある? 子どもの学費、親の介護に費用がかかる? もちろん。でもね。成熟自我になり、フローな状態で仕事やってると、共時(シンクロニシティ)が生まれる。そして、ローン、学費、介護費用といった現世の悩みが、「なぜか」消えてしまうんだよ。解決する。論理、因果を超えた世界になる。どうして? なぜかわからないけど、そうなっちゃうんです。ホント(笑)
昇る朝日を見たことがあるだろうか。月を眺めたことがあるだろうか。
まずはそういう、小さなフロー、ミニフロー体験からやってみよう。