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プラクティスのギフト
ぱっと開いたページの言葉を一日の行動指針にしている。
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この3年、出張中除けば毎日。
つまり、ぼくの行動指針はZEN。
ZENは行動するためのこころの構え。
今朝はこれ。
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タイトル「プラクティスにおけるミス」
イタリック体の文章を訳すと;
プラクティスしていて、欲を出すと失望するだろう。
自分の弱みに気づく。警告かもしれない。そこに感謝しよう。つまり、弱みに気づくためにプラクティスするのであり、欲を満たすためではない。
ここでいう「プラクティス」とは、たとえば坐禅などを指す。
ぼくは商いや仕事を「プラクティス」と考えている。
商いだから「欲」はついて回る。
でも、欲を出すと失望する。
そうではなく、なぜ商いや仕事をするかというと、自分の中にある弱みに気づくため。そう思うと、商いや仕事って、「うまくいかない」ことをてんこ盛りでギフトしてくれる。
今朝から弱みに気づかされてばかりだ。プライバシーあるから書けないけれど、起きてからこの数時間で、いくつやっちゃったか。
あるドキュメンタリーで、築地場外市場が出てた。
鰹節(けづりぶし)を商う秋山商店さん。
けづりぶし試食しているお客さんにかけた言葉。
「景色が変わるでしょ?」
けづりぶしを口に含んで、食べているうちに「景色が変わる」という意味。
お客さん「うん、確かに、変わるー!!」
と喜んでる。
けづりぶしで「景色が変わる」という表現、ぼくはとうてい思いつかない。
さすが、築地で店張ってるだけある。
Your eyes will change.
Your viewpoints will change.
Your perspectives will change.
The scenery is changing.
英語にしたほうがわかりやすいかも。
このように、「とうていかなわない」という思い。
あるいは、的を外してしまった仕事。
「自分の至らなさ」に気づかされてくれる。つまるところ弱みであり、こういう気づきがなければ、「じゃ、ここを課題として取り組もう」に気づけない。結局人間はワンサイド、ものごとの片面しか見ることができないから。
その裏側の面を見せてくれる。
それがプラクティス。
思うようにいかないときこそ、プラクティスやって良かったなあ、と思える。ギフトだね。
起こったことはすべていいことなんだね。やはり。