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2040年、最後のベビーが生まれた

アダモが生まれた。彼はイタリア最後の赤ちゃんだった。

2050年のイタリア。制作したのはベビーフードメーカーPlasmon(米クラフト-ハインツ社グループ)。

もちろん、誇張されてはいるが、統計データ見るとあながちウソとも言い切れない。1964年の100万人をピークとし、2050年は346,000人に落ち込む。

さて、わが日本はと見ると、なんとイタリアより落ち込むカーブが下だ。

図1

「最後のベビー」はイタリアより日本の方が先にやってくる。比率でいうと2040年あたりか。

地球全体を見渡す。

図2

ブルー系統は増えるが、限られてる。イタリア、日本に限らず、地球全体でベビーいなくなる。

図1をもう一度見てみると、韓国、中国の急カーブがすごい。

韓国、2100年にはゼロに近づいてしまう。

・経済が回らなくなる(当然だが、ベビーフード、子ども服、教育産業・・・アウト)

・子ども=若者が減少する、ということは労働人口内構成が、「現場仕事中心」となり、イノベーションが起こりにくくなる

などなど、軽く考えただけで、いいことは一つもない気がする。

しかし。

地球上に人が減ると、いいこともあるんじゃないか?

・空気が澄む

・カラオケの順番が早く回ってきて『イノセントワールド』歌える

・今日これからBE:FIRST大阪城ホールライブだが、チケット取るの簡単になる

・miletライブ、ぼく一人のために歌ってくれる

・新幹線や飛行機が空く

・・・発想の貧しさが悲しい。

なんかね。

いまと比べて、「あれができなくなる、これが減る」という組み立ては、違う気がしてきた。

それって、「いま=めっちゃいい感じ」を前提としてるよね?

そんなに、いいかな。いま。

いいとか悪いとかは、いついかなる時であろうと自分が決めるものだ。

正確にいうと、これも脳にジャッジさせてはいけない。

気分の問題。

いいと思えばいいし、悪いと思えば。

2100年の人は、2100年の景色を見る。

いいことも、いやなこともあるだろう。

それでいいと思う。脳は何であろうとジャッジする。いい、いや、と。

そもそも人間は何ひとつ、コントロールできない。
創造すら、できない。
発見しかできない。

だとすれば、2050年は2050年の、2100年は2100年の現実の中に幸せを発見して生きていくしかない。

「少子高齢化、たいへんだ! 対策打たねば」

そのものが問いとして、成立しない。対策、打てない。

なかなか眠れない人は次を読めばてきめん、眠りに落ちることができます。

大きな流れの中にいる。

大河を動かすこと、人間にはできない。
いまこの瞬間を、ごきげんさんに過ごしましょう。

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