それにしても「26の女」というのは秀逸なコピーだ。
12月25日の早朝、着飾ったカップルが手をつないで歩いている風景はなかなか艶っぽく、良いものだ。
そういえば、去年の12月26日、信号待ちしていた前のカップルの女の子が突然
「どうせ私は26日の女よ!」
とキレた。
男の子、動揺して何か言ってたが、ぼくはあわててその場を離れた。
不器用やなあ、23とかに誘っておけよ、と思ったが、23、24、25、それぞれ違う女の子と先約があったのかもしれない。
それにしても「26の女」というのは秀逸なコピーだ。
さて、今日は25日。「クリスマス」というのは今日なんだろうか、それとも昨日のイブ?
イブというのは、日本でいう大晦日みたいなもんか?
以前勉強した気もするが、忘れてる。
さて;
大阪万博を狙ってホテル建設ラッシュという。たしかにこの前歩いていて、いきなり背の高いアパが出現してびっくりした。
アパとカンデオを特集するドキュメンタリーを勉強して、こってり料理をたらふく食べたあとのような気分になった。
「1M2当たりの売上が全世界の多くのホテルが2〜6米ドルなのを、うちは7ドル、さらには8ドル、世界一を目指します」
昭和の価値観であり、「身心脱落」(しんしんだつらく ©道元、正法眼蔵)がいいなあ、と思っているぼくとしては、何かしんどい。
自分の身体だから自分で自由に動かせる。そう思っているが、実のところはそうではない。
自分の心だから自分で自由に動かせる。そう思っているが、実のところはそうではない。
意味や欲を捨てる。身心脱落。捨てたときに、宇宙とつながることができる。
そう思っていたとき、人新世(じんしんせい)というコンセプトを習った。
人が地球の地質や生態系に影響を与え始めた時代、という呼び方で、わかりやすくいうなら、産業革命以降だ。企業は本来自社で負担するべきコストを外部化してきた。
川のそばに工場建てたとしよう。製品を作る際に出た排水を、所定の基準に基づいて希釈し、川へ流す。法的には問題ない。ないが、何年か後、川の生態系が変化したり、海に流れ出るあたりの魚の産卵に影響を与えたりし、不具合が発生したとする。税金が投入され、改善策が取られる。本来であれば、その企業が自分でなんとかしなければならないのに「公害」となった途端、費用が外部へ転嫁される。
高層ホテルがバカスカ建つ。排水が増える。消費電力も増える。騒音も増える。交通量も増える。昭和な頃は「それで雇用も増え、経済が成長するんだから、致し方ない」だったが、令和の今も同じことをやるというのは学んでない証拠じゃないか?
一企業の欲によって、何かが壊れる。
これがないようにしたい。
この異常な寒波は、ぼくたち人間の経済活動が生み出したものだと思う。
ぼく自身経営者だし、シングルマザー就労支援NPO法人JW-UPもやってるので、雇用は大切だし増やしたい。増やしたいのだけれど、「増やし方」にも禅的なアプローチが必要な世の中になったなあ、と思っています。じゃ、どうすんの? と問われても、いますぐには。
それにしても「26の女」というのは秀逸なコピーだ。