「死に至る病」の出口
「もう疲れた 神様お願い、私を殺して」
と、何度も願った、頃が、過去にある。
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今日のお題は「死に至る病」の出口
今でも、油断(自己制御の範囲外)をすると、
そちらの方向に、心が向いてしまうので、
根源は、内部にまだある。
いつも、限界すれすれのところで、生きてる。
それは、自分の存在証明。
私が、私であることを、証明したい、ただその一心。
そして、張り詰めた糸が、切れそうな痛みに、いっそ切れてしまった方が、
楽になれるのにと、願ってしまっていた。
と思う。
キルケゴールの「死に至る病」であり、
現代の言葉に置き換えると、「ウツ状態」という奴です。
鬱病のメカニズムは、「脳の疲労」ですが、
「脳の疲労」に至るには、「身体の疲労」に沿わずに、
思考だけがぐるぐると働き続けることに因果します。
それは、
むなしい答えしか見つからない否定思考のループ(否定的自動思考)、
終わりも、成果もない思考のループと分類されます。
疲れてきっているので、自分で思考を停止させることも出来ない。
「死に至る病」、私はこれを、大卒の卒業論文で「絶望」と読んだ。
現代では、その「死に至る病」のメカニズムが大部解明されつつある。
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「鬱」という分野では、
「身体の疲労」→「脳の疲労」→思考や行動のパターン
→「否定的自動思考」→「トラウマ」→「スキーマ」
更に、交流分析では、
→「幼年期の環境」
→「親・養育者」の思考・行動・トラウマの影響
→ 代々受け継がれた価値感の影響
切りのない、根っこに、さらに、ウツが増すこともある。
1)軽度のウツならば、
「生活のリズム」を整えることで、改善が見込める。
2)思考の偏り(認知の歪み)が見られるウツは、
「認知再構成法」の心理カウンセリングで、改善が見込める。
3)「死」に惹かれる(吸い寄せられる)タイプの場合は、
人生脚本(交流分析用語)に「存在の禁止令」を持っている場合が多い。
どこかで、「自分は邪魔者」とか、「自分が居ない方が良い」と、
思考が発達する以前(概ね10歳以下)などに、
無意識の中に定着するようなトラウマを抱えていたりする。
そして、概ね子供の頃のトラウマは、
「親のため息」は、「自分のせい」と思ってたり、
「お前でせいで・・」と言葉を浴びせられることもある。
トラウマによる「禁止令」は、
OK条件とセットで、行動タイプを作ってしまうことが多い。
たとえば、「存在してはいけない」という無意識の思い込みを、
回避する条件として、「人の役に立つ」という概念をセットで、
人生脚本に組み込んでいる人は、
「自分の存在の価値」を、「人の役に立つ」ことで、
存在証明しようと生き、 自分の存在を消耗して、
「人の役に立つ」ことを証明しようとする行動パターンを 繰り返す。
そして、「人の役に立つ」を否定された瞬間、自己消耗の方向で
「死」に向かう。
「禁止令」と、禁止令の「回避条件」の組み合わせは、何通りもあり、
自己のパターンとして、繰り返し強化されていく。
自分で気付くことができれば、パターンは分析・解析可能で、
自分で気付くことができれば、人生脚本を、生きやすい脚本に
書き換えることが可能というのが、交流分析療法の心理カウンセリング。
具体的には、「改善したい」という気持ちに従って、
「禁止令」による人生の選択を、「禁止令」を解くことで、
生きやすい人生脚本に書き換える。
たとえば、「存在の禁止」がかかっている場合は、
大抵、悲しい自分の「死」を漠然とイメージしていたりします。
あるいは、自分は「生きていてはいけない」と思ったりします。
あるいは、「ここに、居ていけない」と思ったりします。
「存在の禁止」を解くことは、
「生きていて良い」
「ここに居て良い」
「存在していいんだ!」
と、思えることであり、今後、
「生きる」「存在する」行動を、選ぶことで、あったりします。
そして、
「「生きる」「存在する」行動を選ぶこと」は、
自分の価値を、軽視する、他人や自分との交流から、
距離をとることでもあります。
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ここまで、私自身、
(認定)交流分析療法師であり、学びつづけている中、
実は、結構限界を感じます。
禁止令や、スキーマの経緯を、自覚する工程で、
幼年期の存在や、親との関係をふり返る時、
このとき、心の痛みに絶えられない時、
痛みの全てを環境や親を憎んでしまう場合がある。
自分のトラウマを、認知することが、
養育者を悪に作り上げてしまったり、
歪んだ自分の言い訳を強化してしまったり、
痛みから抜け出せないもがきを
自分自身も含め、どうしようもなく、
ただただ・・見てきた。
この夏、思った。
「人生は変えようとすれば変えられる。」
だけど、もだえて変えるばかりではないのだと・・
実は、「分析」のもっと先の、
「どんぐりの・・」ジェームズ・ヒルマンの「魂のコード」
更に先の・・
出会いや、偶然の一致・・や・・
人は独りで生きているわけでなく・・
さまざまな偶然や必然がかさなって、
成り立っている、今の自分の存在・・・
悲しみも、痛みも、実績も・・。
流されるので無く、
流れに乗るような、感覚の切り替えができれば、
これから、どう生きるのか・・
波に耐えもだえなくても、
流れに自分を預けてみることができたら、
乗る流れを見極めることができれば・・・
より楽に、多くの人が、
この先、より多くの人が生きてゆけそうと、思い・思い出した。
痛みを知ったからこそ、
自分を信じられる、自分がある。
過去の嫌いな自分を、抱きしめながら、生きれる方法へ、
出口は、来る・・。