「出雲王朝?」そして「国譲り神話」とはなんだったのか?前編
ついに前回に続いて歴史ロマンについて書いてみます。
私は、歴史好きの理系なので、専門的に歴史を学んできたわけではないですよ!と冒頭に言い訳をしておきます。
さて、前回の邪馬台国はどこ?↓↓
👆に続いて、
第2回目として「国譲り神話」にいってみます。
「にわか歴史好き」がいきなり神話の話を書くと、タブーに踏み込んだり、ツッコミどころ満載かもしれませんが、まずは遠慮なく書いてみます。
数年前に「出雲」 に旅行に行きました。
まあ、有名な出雲大社始め、近隣の観光に行ったわけです。
縁結びの神様として有名な出雲大社ですが、凛とした空気に包まれた緑豊かな境内は、誰もが認めるパワースポット感があります。
この神社にまつわる話には何か不思議な感じや、何かの違和感や、普通の神社とは違う謎や、いくつか引っ掛かるポイントがあるんですよね。
以下に列挙します。
1、一般的な神社と異なり「四拍手」する
神社参拝時の作法としては、「二礼二拍手一礼」というスタイルが一般的だと思っていました。おそらくほとんどの皆さんそうでしょう。
出雲大社では「二礼四拍手一礼」なんですよね。
その時点で、何か普通の神社とは違う・・・と感じますよね。
もっとも、「二礼二拍手一礼」というスタイルが昔から一般的だったのかどうかについては諸説あるのでここではこれ以上深掘りしませんが、とにかく他の神社と違う!そこは押さえておきたいポイントです。
2、古代の出雲大社は巨大神殿の高層建築物だったといいう伝説
実は出雲大社の本殿は巨大神殿だったという説があるんです。
↑この写真は現在の本殿で、延享元年(1774)にできたらしいんですが、すでに十分に巨大でなんですよね。
ただ、実際はどんな社殿だったかというと、
↓こんなだったそうなんです
ほんとかよ・・・
メインの社殿の柱とか古代にこんな柱作れたのか?
しばらくは多くの人は眉唾の伝説ぐらいに思っていたわけですが(たぶん)
ついに出ちゃったんですよね。
実はこの柱の場所は、今の出雲大社ではこうなっています↓
この柱は、スギの大木3本を1組にした巨大な柱だったそうで、出雲大社の現在の本殿の手前部分に丸で表現してあります。
ちょっとロマン感じますよね。
この真上にズドーン!と巨大な社殿があったかと思うとね・・・
3、どうも出雲地方を中心に強大な勢力(国?)があったらしい
そもそもこの出雲大社の主祭神はだいこく様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」なんですね。
そして、神社の由来などを読むと、この大国主大神は、農耕・漁業・殖産などを振興し「国づくり」に熱心に取り組んでいたという話です。
ちなみに1984年に出雲地方にある 荒神谷(こうじんだに)遺跡で弥生時代中期の銅剣が大量出土したらしいんです。
何がすごいって、その銅剣の数です。
銅剣が計358本。それまで全国で出土した銅剣の数を上回ったということがすごいわけです。
つまり、弥生時代には、この地域に、他のエリアとは少し違う文化を持ち、加えてかなりの技術力と強大な軍事力も持っていた「国」があり、「だいこく様」もおそらくこの地域の「王」だったのでは?ということが想像できますよね。
4、神社の由来に出てくる「国譲り神話」がどうも違和感
まあ、歴史好きの方ならここまでの話は、既によくご存知の話でしょう。
復習のつもりで読んでいただけたかと思いますが、ここからが本題のつもりです。
出雲大社の由来などの解説を読むと、
と、伝わっています。
神話の世界ですね・・・
はい、神話の世界です。
ただこの「国譲り神話」何か不自然なんですよね。
もう少し解説をすると、天の国である高天原が、地上の国すなわち日本列島の支配権をオオクニヌシから受け継ぐという話です。
神話の世界とは、「A,完全に作り話」か、「B,なにかモデルになった史実があって、それを多少脚色した話」の2種類があることは容易に想像できますが、この国譲りの話、妙にリアルで、普通に読むと何か不自然な感じがするんですよね。
では次回は「国譲り神話」の話を詳しくやります。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?