『アルコール依存症の治療法は確立されていない』確立させていくには僕たち依存症者に懸かってるって事だよ
重度アルコール依存症の kiyopi です。
前回の記事でも触れましたが、『アルコール依存症の治療法は確立されていない』
この意味を考えたことがあるでしょうか?
どういうことなのか?考えたことがあるでしょうか?
僕は、『治療法の確立は、僕たちアルコール依存症者に懸かっている』と思っています。
アル依に至った原因
お酒を手放せない原因
何に気付き、何を改善し、何が得られて、何を手放したのか?
何が満たされて、どんな事に安心感を見出したのか?
何を語り、何を訴えるのか?
何を伝えて後進の苦しむ人たちに残していくのか?
それが、いつかは治療法の確立に繋がっていくのだと思っています。
アル依の回復のために必要な事、最近ではAIに聞いても答えが得られます。
一般に言われている事ばかりですが、大きな違いが一つだけ。
AIは、”心の問題”、その改善も重要だと答えを出してくることです。
世間的アル依界隈では重要視されていないこの問題。
医療でも避ける医師は多い。
酒鬱なんて概念があるから。
火のない所には煙は立たない。
元々持っているものがお酒による影響で出てきたり、強まったりしているだけである事と、自分のお酒・酔う事への強い執着心・依存心であるだけであるのに。
お酒が作りだした飲酒をしなければなくなるような離脱症状による幻想ではなく、元から自分が抱えているものです。
心の問題に重点を移した時、あなたにはどんな問題があるでしょうか?
不満、不安、恐れ、後悔。
怒り、憎しみ、恨み。
承認欲求、嫉妬、劣等感、自己顕示欲求。
甘え、依存心。
それらに対する執着心。
そういったものが、お酒への依存にどう関係しているのか?
断酒していて、強い飲酒欲求に悩まされた時、それらがどう影響しているのか?
そういったものに振り回されなくなった時、何に気付いたのか?
何を得て、何が改善に至ったのか?
避けるのでなく、形だけやるのでなく、心から。
こういった事を語れる人は少ない。
解決してしまうと、どんどん忘れていってしまう上に、断酒至上主義的な人や断酒を信仰するように信じている人(僕から見て、知識だけで考えない人達、自分の知っているありふれた知識が絶対だと思っている人達、断酒に盲目的であったり、自助会への意識が新興宗教の熱心な信者と変わらない人達、怒れる人が多数いるのは分かっていますが、自分の心理を見返してみてほしいから敢えて言ってます)からは否定・批判される事も多いから。
嫌な思いしたり、呆れてしまったり・・・そして、表に出てこなくなる。
医師からも「過信だ」「アルコール依存症は治らない」と言って説教される場合も多い。
精神科医だから精神性が高いという事でもない訳ですから、激高する精神科医もいたり。
僕はどちらも経験している。
医師ですらその人の回復を信じて違いを聞いてみなかったり、自分の知っている知識こそが正しいと勘違いな思い込み(そう簡単に回復しない、一生向き合わなければいけない)をしていたりして、医師の元にも情報が残らない。
そもそも、どんな状態なら回復なの?どんな精神状態であれば回復なの?
僕は聞いた事がない。
医師に限らず誰からも。
応えられた医師もまだいない。
誰に聞いても断酒の継続だというだけで、はぐらかされるだけで。
医師こそ、何でアルコール依存症は治らないとされているのか?その理由に立ち返ってほしく思います。
本当に必要なのは、こういった人の話だと思います。
心の部分を隠して行動部分だけ語る人は探さなくてもありふれています。
苦しみを吐き出して聞かせてくれる人はなかなかいない。
だからこそ、しっかりと自分と向き合って、気付きに辿り着いて、そこに至ったからこその、その先を語れる人が増えてほしいと思います。
AIでも応えられるような一般的に言われるチープな断酒メリットや飲酒のデメリットなんかではなく、もっと深い部分を語れる人が。
そういう人も増えてきてはいると思うけど、今はまだ難しいのかな?というのが実感です。
自分との向き合いなんか求めてない。
苦しみから解放される事は望みながらも、難しい事や困難な事は嫌。
何とかしたいわけではなく、いつか何とかなってほしい。
それよりも、どうしたら断酒が継続できるのか。
それを求めている人ばかりのように見えますから。
全ての答えは自分の中にしかないよ。
今回は以上です。
参考にして頂けたら幸いです。
あなたが回復に向かえますように
ご家族様の傷や苦しみが癒えていきますように
最後まで読んで頂きありがとうございました。