K. H.

ベルリン在住。ライター/エディター。写真/アート/建築/デザインが好き。

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ベルリン在住。ライター/エディター。写真/アート/建築/デザインが好き。

マガジン

  • 「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。

    2020年から2021年にかけて、十数回に分けて「ベルリンの壁」を自転車で走破しました。その際に見たものや感じたことを、現在レポート記事として書いています。このマガジンでは、そうした記事を集めています。

最近の記事

ベルリンの壁崩壊から35年。記念イベントで感じられた、時代を変えた一体感。

ベルリンと言えば、ベルリンの壁を思い浮かべる人が多いでしょう。ベルリンの壁は1961年から1989年まで、一つの街を二つに引き裂いていました。そんな壁が崩壊したのは1989年11月9日のことでした。今年2024年はベルリンの壁崩壊から35年の記念の年です。そのため11月8日と9日にベルリンの街では大規模な記念イベントが開催されたのです。こちらの記事では、その様子を紹介したいと思います。 姿を消したベルリンの壁の再登場ベルリンの壁はベルリンの西側を囲むように築かれていました。

    • 「ピーター・パン」が住んでいた街ベルリン / ベルリンの現代アートが繁栄した理由

       私がベルリンに移り住んだきっかけは、自分でも笑ってしまうのですが、どこかで聞いたベルリンの魅力でした。ベルリンには多くのアーティストが住んでいて、多くの美術館があり、文化的に魅力的な街であるという漠然とした情報が私には光り輝いて見えました。若気の至りでそんな情報を信じきってベルリンに移り住んでしまうのですが、幸運なことにそれは間違いではありませんでした。街には多くのギャラリーや美術館があり、そこでは多くの展覧会が開かれています。そして展覧会を訪れれば、街に住むアーティストと

      • 総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(22)/鉄道の受難

        墓地に残された壁  「ベルリンの壁」跡に整備された「壁の道」は住宅街を抜けて、静かな路地へと入っていきます。そこに見えるのは、通りに沿って伸びる壁。壁の裏側は墓地となっていますが、これは墓地の外壁ではなく、残された「ベルリンの壁」です。墓地の中に入ってゆくと、墓石の間にもコンクリートの壁があります。こちらは壁への接近を妨げる第二の壁の一部。一般的に、壁が築かれた場所には新しい建物が建てられるため、壁や壁に関連するものが残されるのは稀です。再開発されることのない墓地だからこそ

        • 総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(21)/忘れないために残すこと

          「西側」の風景も変えた「ベルリンの壁」  運河沿いの道を進んでゆくと、周りに見える風景が変わっていきます。見渡すと「西側」に建物群が目に飛び込んできました。これは「オイローパシティー(Europacity)」と呼ばれる大規模再開発によって建てられた建物。この場所は、東西ドイツ時代に壁による分断のため中心地から離れた倉庫街と空き地となっていました。しかし開発されることがなかった僻地は、ドイツ再統一によって街の中心地へと変わります。今では広大な敷地は個別に再開発されることなく、

        • ベルリンの壁崩壊から35年。記念イベントで感じられた、時代を変えた一体感。

        • 「ピーター・パン」が住んでいた街ベルリン / ベルリンの現代アートが繁栄した理由

        • 総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(22)/鉄道の受難

        • 総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(21)/忘れないために残すこと

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        • 「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。
          22本

        記事

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(20)/墓地が気付かせるドイツの歴史

          整備された水辺の道  多くの船が行き交うシュプレー川を横目に方向を変えて、ここからはしばらく運河に沿って進むことになります。国会議事堂から数キロは、車を気にすることもなく水辺の道を進むことができます。壁があった場所は壁崩壊後に再開発されていますが、その際に川沿いや運河沿いに歩行者や自転車用の道が整備されているのです。そのため気持ちよく自転車を走らせることができました。これはある意味で「ベルリンの壁」がもたらたした恩恵なのかもしれません。 ドイツの墓地  運河沿いに整備さ

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(20)/墓地が気付かせるドイツの歴史

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(19)/東西を繋ぐ橋。

          国会議事堂の横に残された壁の跡  ベルリンのシンボルとも言えるブランデンブルク門を通り過ぎて、「ベルリンの壁」を追いかけていきます。壁はドイツの国会議事堂の裏を抜けて、シュプレー川へとたどり着きます。国会議事堂はドイツの政治を決定する重要な場所ですが、そんな場所の横にあったのが東西の境界である壁でした(東西ドイツ時代は西ドイツの首都はボンで、建物は国会議事堂としては使われていませんでした)。それを考えると、「ベルリンの壁」が首都である重要な街を、その中心から二つに引き裂いて

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(19)/東西を繋ぐ橋。

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(18)/ブランデンブルク門とホロコーストの慰霊碑

           ブランデンブルク門  真新しい建物が立ち並ぶ「ポツダムプラッツ」を過ぎると、見えてくるのはブランデンブルク門です。ベルリンと言えば、最初にイメージされるものかもしれません。このようなブランデンブルク門も「ベルリンの壁」に直接的に関連したものなのです。歴史的に門は都市の出入り口の役割を果たしていましたが、東西ドイツ時代には「西側」と「東側」を隔てる場所となっていました。門は「ベルリンの壁」によって閉鎖されることで、誰も通り抜けることはできなかったのです。 ドイツ再統一のシ

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(18)/ブランデンブルク門とホロコーストの慰霊碑

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(17)/現在のベルリンの横に残る過去のベルリン

          残された壁  多くの観光客であふれる旧検問所「チェックポイント・チャーリー」をあとにして、「ベルリンの壁」を辿って先へと進みます。しばらく進んで行くと見えてくるのは、通りに沿って築かれている壁。その上には落書きの描かれた跡が見え、また表面は削り取られています。こちらの壁は100メートルほど連なった形で残されており、今では数カ所しかない「ベルリンの壁」をまとまった形で見せている場所。このような場所ですが、壁だけでなく敷地も重要な場所となっているのです。 秘密警察「ゲシュタポ

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(17)/現在のベルリンの横に残る過去のベルリン

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(16)/記憶され続ける悲劇

          チェックポイント・チャーリー  「ベルリンの壁」を辿っていくと、人であふれる大通りが見えてきます。それは東西の境界に設置された検問所「チェックポイント・チャーリー」です。壁の歴史に触れられる場所として多くの観光客で賑っています。ベルリンには当時約10カ所の検問所がありましたが、その中でも最も有名な場所でしょう。今では多くの観光客が行き交う場所ですが、東西ドイツ時代は誰もが通過できる場所ではありませんでした。ここでは「西側」の市民も「東側」の市民も利用できず、外国人と外交官な

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(16)/記憶され続ける悲劇

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(15)/過去だけでなく未来も考えさせる作品

          非現実的な街並み  先日紹介したハインリヒ・ハイン通りの検問所跡を過ぎると、見えてくるのは通りに並ぶ真新しい建物です。これは今まで何回も紹介していますが、壁跡の空き地の再開発です。この周辺は10年ほど前にも訪れることがあったのですが、都心に広がる巨大な空き地に違和感を感じたことを覚えています。今では真新しい住宅が立ち並び、以前のような感覚を感じることはありません。ただ生活感を感じさせない真新しい建物が続く風景に、どこか非現実的な印象を受けました。 現代的な建物とベルリンの

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(15)/過去だけでなく未来も考えさせる作品

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(14)/「ベルリンの壁」の今と昔

          公園へと生まれ変わった無人地帯  「ベルリンの壁」を辿る道は、ベルリンの中心部にある住宅地へと入ってきました。この周辺では壁は撤去されており、壁にまつわるものはほとんど残されてはいません。その一方で、この周辺で撮影された写真は多く残されています。例えば、下記の写真で、これは「ベルリンの壁」が崩壊した後に写されたもの。写された場所は無人地帯で、それは東西の境界の壁と、そこへの接近を妨げる壁の間に設置されていました。無人地帯では「西側」への脱出を防ぐために視界を妨げるもの取り去

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(14)/「ベルリンの壁」の今と昔

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(13)/権力や境界に束縛されない自由の精神

          渡ることのできなかった橋  シュプレー川の川岸に残されている「ベルリンの壁」を辿っていくと橋が見えてきます。ここから東西の境界となるのは、橋を渡った対岸の場所となります。「シリングブリュッケ(Schillingbrücke)」と呼ばれる橋ですが、前回紹介した「オーバーバウムブリュッケ」とは違って国境検問所として利用されておらず、橋であっても通行できない場所となっていました。今では簡単に渡れるからこそ、向こう岸が訪れられない場所だとは想像することはできません。 壁際に建つ粗

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(13)/権力や境界に束縛されない自由の精神

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(12)/ベルリンの現在を感じられる場所

          「東側」と「西側」を隔てた橋    「ベルリンの壁」を辿っていくと、シュプレー川を渡ることになります。川を渡る際に利用するのは、20世期初頭に架けられた橋「オーバーバウムブリュッケ(Oberbaumbrücke)」です。橋を見てみると、2階部分にゆっくりと走る列車が見えるでしょう。こちらの橋は歩行者や車だけでなく地下鉄も利用する特徴的な橋となっているのです。そんな橋ですが、シュプレー川が東西の境界となっていたため、東西ドイツ時代に橋の上に壁が築かれて、地下鉄と車両の通行は不

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(12)/ベルリンの現在を感じられる場所

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(11)/過去を圧倒する現在のベルリン

          運河に沿ってシュプレー川へ  「ベルリンの壁」を辿るため運河に沿って進んでいくと、今までは違う街の姿が見えてきます。市内中心部であり、水辺のスペースであるため、多くの人が集まる場所となっています。この周辺で見ることになるのは観光地となった街の姿なのです。運河は大通りと交差しますが、そこに見えるのは、クラブやバー、そしてカフェなど若者や観光客を対象としたきらびやかな店。コロナ・ウイルスで観光客が減っても、それでも多くの人が集まる人気の場所です。ここではベルリンの現代的な姿を見

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(11)/過去を圧倒する現在のベルリン

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(10)壁が無くなっても戻らなかったもの

          壁の跡が印された道を走る  「ベルリンの壁」を辿るルートは、ベルリン市内に入ってから北上を続けてきました。市内東部のプレンターヴァルト(Plänterwald)から街の中心部へと向かうことになり、西へと進みます。街の中では交通量が多くなり、交通量の少ない場所であっても路上駐車が多く、サイクリングとしては魅力的な場所とは言えません。その一方で、前回紹介したように多くの場所では道路に壁の跡が印されています。そのため今まで以上に壁の存在を感じられ、「ベルリンの壁」を辿っていること

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(10)壁が無くなっても戻らなかったもの

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(9)モニュメントが伝える悲劇

          壁の跡  「ベルリンの壁」の最後の犠牲者の名前が付けられた「クリス・ギュフロイ橋」を使って運河を渡り、北上していきます。しばらく進むと、見えるのは車が行き交う道路。大通りではありませんが、郊外へと向かう幹線道路となっています。道路にはレンガが埋め込んで道路上に1本の線が印されています。それをよく見ると、書かれているのは「BERLINER MAUER 1961-1989」の文字。これは「ベルリンの壁 1961年-1989年」という意味で、「ベルリンの壁」の跡に配置されており、

          総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(9)モニュメントが伝える悲劇