「ピーター・パン」が住んでいた街ベルリン / ベルリンの現代アートが繁栄した理由
私がベルリンに移り住んだきっかけは、自分でも笑ってしまうのですが、どこかで聞いたベルリンの魅力でした。ベルリンには多くのアーティストが住んでいて、多くの美術館があり、文化的に魅力的な街であるという漠然とした情報が私には光り輝いて見えました。若気の至りでそんな情報を信じきってベルリンに移り住んでしまうのですが、幸運なことにそれは間違いではありませんでした。街には多くのギャラリーや美術館があり、そこでは多くの展覧会が開かれています。そして展覧会を訪れれば、街に住むアーティストといった美術に関わる人々に出会うことができたのです。ただ何よりも私が魅せられたのはベルリンの街の性格でした。というのもベルリンは多くの「ピーター・パン」が住む「ネバーランド」だったからです。
「ネバーランド」に住む大人になることのない人々
そもそも「ネバーランド」とは何だと思う人がいるかもしれませんが、小説『ピーター・パンとウェンディ』に登場する街で、そこに移り住むと年を取らず、子供たちは大人になることがありません。物語の主人公であるピーター・パンも大人になることのない少年なのです。ベルリンに来た当初に、かなりいい年のおっさんがスケボーを楽しんでいるのを見て度肝を抜かれたことを今でも覚えています。クラブに行けば、お年を召した方々が若者と一緒に躍り狂っているのを目撃したこともありました。ベルリンには大人になることのない少年少女が至る所にいたのでした。そんな人々が住むベルリンのことを友人が説明してくれて、それが強く印象に残っています。
現在の時間軸しか存在しない「ネバーランド」
「ベルリンってさ、明日のこと考えなくても生きていけるの。だってさ、この街は本当にお金がかからないでしょ。何か簡単なアルバイトさえしていれば、外国人だって生きていけるの」と友人は説明してくれました。実際に私がベルリンに移り住んだ2000年代後半はヨーロッパの街としては物価が安く、今では想像もできないですが、私は200ユーロ程度でルームシェアをして暮らしていました。こうした住みやすさは先のことを考えなくても良い気楽な雰囲気を生み出し、街全体を覆っていたのかもしれません。実際にベルリンにはお金のない若者やアーティストが世界中から惹き寄せられていました。私がこの街で感じたのは未来を気にする必要のない今この瞬間を楽しむことだったのです。だからこそ、ベルリンは現在という時間の軸しか存在しない「ネバーランド」と言えるでしょう。
「ネバーランド」が可能にしたベルリンの現代アートの繁栄
こうしたベルリンの現在のあり方は享楽的に思えるかもしれません。ですが、それはこの街の美術界にとって大きな役割を果たしていました。ベルリンのアートシーンで特に盛んなのが現代アートです。現代アートって何なのかと言えば、込み入った話になってしまいますが、簡単に言えば、「現代という時代を反映する美術」と言えるでしょう。私はベルリンで現代アートの展示を見て感じたのは現代という時代でした。ベルリンで見る作品には現代に生きる私にとって共感するものがあり、そこには時代の表現が感じられたのです。こうした作品の多くはベルリンに住むアーティストによって生み出されたものですが、私にはベルリンという街が、こうした作品を可能にさせると思えてならなかったのです。
「ピーター・パン」として現在の時間軸に集中するアーティスト
ベルリンでは未来という時間軸を気にする必要がないと書きましたが、それは現在という時間軸がこの街の中心にあるからでしょう。現在という時間軸にひたすら集中できる「ピーター・パン」は今私たちが生きる時代と向き合い、それを形にして作品を作り上げます。だからこそ、ここで生み出される作品は現代という時代を強く感じることができるのです。私が魅了されたのは現代アート作品を生み出すベルリンの「ピーター・パン」たちと、それを可能にする「ネバーランド」としての街だったのです。ベルリンを訪れる機会があれば、ベルリンのアーティストの作品を見てください。きっと彼ら/彼女らは、作品を通じて今という時代を感じさせてくれるはずです。
(2010年代からベルリンの街は急速に開発されていき、安い家賃で住んでいた「ピーター・パン」たちは、街から離れていっています。ベルリンの街は未来を意識しなくてはいけない街になりつつあり、そこにあった「ネバーランド」は少しずつ色褪せているのです。街に溢れていた「ピーター・パン」はひょっとしたら、今では見つけることが簡単でないかもしれません。そんなベルリンの今の状況については、また後日文章にしたいと思います。)
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