総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(20)/墓地が気付かせるドイツの歴史
整備された水辺の道
多くの船が行き交うシュプレー川を横目に方向を変えて、ここからはしばらく運河に沿って進むことになります。国会議事堂から数キロは、車を気にすることもなく水辺の道を進むことができます。壁があった場所は壁崩壊後に再開発されていますが、その際に川沿いや運河沿いに歩行者や自転車用の道が整備されているのです。そのため気持ちよく自転車を走らせることができました。これはある意味で「ベルリンの壁」がもたらたした恩恵なのかもしれません。
ドイツの墓地
運河沿いに整備された道を進んでいると見えてくるのは、公園のような空間です。その場所を見てみると、墓石が並ぶ墓地となっています。日本と比べると、ドイツの墓地はかなり違った印象を受けるでしょう。というのも、墓地には芝生が広がり、多くの木が植えられているからです。そのため自然豊かな場所と感じられるかもしれません。実際に散歩のために墓地を訪れる人もいるほどで、日本の墓地とはかなり違った空間なのです。
長い歴史を持つ墓地
こちらの墓地は「インヴァーリデン墓地(Invalidenfriedhof)」で、18世期に歴史を遡ることができるベルリンでもかなり古い墓地です。長い歴史を持つ墓地であるため、時代を感じさせる墓石が並んでいます。しかし、そんな墓石の中に明らかに異質なものがあります。それは歴史的に価値の無さそうな壁。元々墓地にあったものでなく、そして墓地を囲む壁でもありません。これは「ベルリンの壁」なのです。壁は墓地の敷地を横切っていたのです。
壁が築かれた墓地
現在では公園のように整備された場所を訪れる人は少なくありません。しかし、この墓地の一部は「ベルリンの壁」と壁への接近を妨げる無人地帯によって、訪れられない場所だったのです。また東西ベルリン時代には敷地の一部は駐車場に転用されるなど、墓地として省みられていませんでした。そのため壁建設以前にあった約3000基の墓地は1割も残されておらず、今では一部の墓石を見ることができるだけなのです。
ドイツの敗戦と東西ドイツ分裂の歴史を気付かせる墓地
このような墓地ですが、そこに葬られていた人たちを知ると、荒廃してしまった理由が理解できるかもしれません。墓地はドイツ帝国の前身であるプロイセンの軍人を埋葬する場所で、以降もドイツの軍人が葬られていました。実際にナチス関係者も埋葬されたこともあり、第二次世界大戦後には連合国によって関係するものが取り除かれています。ここで目にできるのは、ドイツの敗戦、そして「ベルリンの壁」の建設を経て残された姿なのです。墓地を訪れると、壁の合間にまばらに残る墓石は、こうしたドイツの歴史を気付かせてくれるでしょう。
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