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ベルリンの壁崩壊から35年。記念イベントで感じられた、時代を変えた一体感。

ベルリンと言えば、ベルリンの壁を思い浮かべる人が多いでしょう。ベルリンの壁は1961年から1989年まで、一つの街を二つに引き裂いていました。そんな壁が崩壊したのは1989年11月9日のことでした。今年2024年はベルリンの壁崩壊から35年の記念の年です。そのため11月8日と9日にベルリンの街では大規模な記念イベントが開催されたのです。こちらの記事では、その様子を紹介したいと思います。

保存されているベルリンの壁

姿を消したベルリンの壁の再登場

ベルリンの壁はベルリンの西側を囲むように築かれていました。その長さは155キロにもなっていたのですが、壁崩壊とドイツ再統一によって、そのほとんどは街から姿を消したのでした。そのため今でも壁が残されているのは一部の場所のみです。今では壁のあった場所を見つけるのも簡単ではありません。今回のイベントでは、そんな壁が異なる形で姿を現したのです。

チェックポイント・チャーリー

多くのメッセージによって現れた壁

市内中心部の壁跡地に現れたのは無数のプラカードでした。それはベルリンの壁が崩壊の際に、多くの市民が掲げたプラカードのレプリカだそうです。そこにベルリンの市民による平和や自由へのメッセージが書かれた新しいプラカードが加えられています。こうした無数のプラカードが跡地に並び、平和へのメッセージによるベルリンの壁が生み出されたのでした。

壁跡地に並ぶプラカード
壁跡に延々と並ぶプラカード

様々なスタイルの平和と自由へのメッセージ

イベント当日に中心部の壁跡地を訪れると、様々なメッセージが延々と並んでいます。それはイラストであったり、文字だけのものもあります。そして綺麗なものもあれば、子供が描いた読み取れないものもあり、そのスタイルも様々なものとなっていました。そんな様々な思いが、かつてあった壁の存在を露わにして、平和や自由の重要さを気づかせてくれるのです。

壁跡地に並ぶプラカード
ドイツ語で自由と書かれた子供によるプラカード

統一ドイツの象徴ブランデンブルク門

数キロにも及ぶメッセージの壁に沿って歩いていくと、ブランデンブルク門にたどり着きました。門はベルリンのシンボルとも言える場所です。そんな場所は実はベルリンの壁に隣接していたため、誰も通り抜けることができない場所でした。だからこそ、通り抜けられる門は統一ドイツのシンボルになっているのです。そんなブランデンブルク門は、今回のイベントのメインステージとなっていました。

ブランデンブルク門

様々なメッセージが映し出されたステージ

ブランデンブルク門のステージはかなり個性的なもので、大小様々なスクリーンが集まりステージとなっています。各スクリーンにもプラカードと同様に平和と自由へのメッセージが映し出されているのです。大きさもスタイルも様々なメッセージは、まさに多くの人が今回のイベントに関わっていることを象徴するものと言えるでしょう。

スクリーンには様々なメッセージが映し出される

平和と自由を祝う合奏/セッション

個性的なステージの上には多数のミュージシャンがいます。ギタリストが10人、キーボードプレーヤーが10人、そしてボーカリストが10人といった感じで、多くの人々がスクリーンで作られたステージに立ち、一緒に曲を演奏して歌い始めたのです。その時に気づいたのは今回再現された壁跡に他にもステージがあったことでした。

ブランデンブルク門前には多くの人が集まる

多くの人が参加した合奏/セッション

プログラムを確認すると、チェックポイント・チャーリーやポツダム広場など、ベルリンの壁跡地の5会場に「平和のためのバンド」が集まって同時に演奏を行うとのことでした。ブランデンブルク門だけでも100人近いミュージシャンがいたので、全会場でかなり多くの人が参加する演奏になったのでしょう。もちろん会場にいた人たちも一緒に歌い始めたので、無数の人々による大合唱となったのです。

ポツダム広場のステージの様子

会場に生まれた一体感

会場で感じられたのは、演奏のうまさや歌声の美しさではありませんでした。個の力を集めて一つの大きな力を作り出す一体感でした。多くの人々が一緒に歌うことで、一つのことを成し遂げるような力が会場で生まれたのです。これはベルリンの壁が多くの人々の力によって崩されたことをイメージしているのかもしれません。

ドイツのメディアによるイベントのレポート
BlueSkyに私が撮ったビデオをアップロードしています)

ベルリンの壁崩壊の際に生まれた一体感を感じさせるイベント

無数の平和へのメッセージと、多くの人々が参加するコンサートは、ベルリンの壁崩壊時の人々の思いを感じることができました。35年前のベルリンでは、壁を通り抜ける人々には、このような一体感があったのでしょう。壁に集まった人々は、西ドイツや東ドイツといった国の違いなど関係なく、誰もが壁の崩壊を願い、その実現を喜んでいたはずです。35年経ったベルリンのブランデンブルク門では、そんな歴史的な出来事を一体感を通じて感じることができました。

ベルリンの壁の現在の状況については、私が運営する「ドイツ便り」のページで紹介しています。ぜひそちらも読んで頂けると嬉しいです。

●こちらでは、ベルリンの壁跡地155キロを巡ったことを記事にしています。(現在休止していますが、再開します。ぜひサポートをよろしくお願いします)


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K. H.
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