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なぜ僕が キャンプや野宿が好きなのか 昨日改めて考えてみた

僕は、学生の頃から
外遊びが好きで、
バイクに寝袋を積んで、
日本中を旅していました。

還暦を過ぎた今も、
いい年をして、
外遊びがやめられません。
定期的に、外に飛び出したい
という、衝動が出てきます。

もはや、趣味ではなく、
カッコよく言えば
「ライフスタイル」
ダサく言えば
「僻」とも言える自分です。

僕の人生は、
「自由」「好奇心」
「真理の追究」
の3つを叶えるためと
思っていて、
野遊びは1番目の
「自由」に関わります。

以前、仲間内で熱海の沖の
初島に遊びに行こうという
話が持ち上がった事が
ありました。
その時、仲間の一人が
言った言葉は、
「行ってもいいけど何があるの」
「ゴルフ出来る」「テニスは」
「ホテルの施設は」
「やる事が無いのでは」
というものでした。

「現地に何かをしに行く日本人」
と違って、欧米人は、
リゾート地に行って
何もしないで、ビーチで
一日寝そべる。といった
過ごし方が得意です。

僕自身は、
ゲームやレジャー施設など、
誰かのお膳立てした
ルールや世界で遊ぶ事が
苦手だと、最近特に感じる
ようになりました。

例えばディズニーランドも
以前、西海岸で一度だけ
行ったことがありますが、
「これは、一度でいいな」と
感じています。

反面、あの夢の世界観が
好きで、
年間パスを使って、
完全に没入する楽しみ方も、
人によっては、
有りだと思っています。

CP、携帯ゲームも
暇つぶしにはなりますが、
誰かの作ったプログラムの通り、
トラップも面白く仕掛けてあり、
まんまと乗っかるけど、
「ゲーム作者の手の平の上の遊び」
「所詮、レールの上を分岐するだけ」
という感覚に
囚われてしまいます。

まあ楽しんだ者勝ちですから
僕のような性格を、
「ひねくれ者」と呼ぶのかも
しれません。

自分が3~5歳頃に体験した、
棒切れやヒモで何時間も
遊べる感覚から、まだ、
卒業しきていないのかも
しれません。

特にバイクでの野宿は、
持っていくものも
限られるため、ひとつの
グッズを数種類に
使い分けなくてはいけない
「不便」が沢山あります。

そこに工夫や知恵が無いと、
ちっとも楽しむ事が
出来ません。

数キロ四方、人間が居ない
山の中で、一人で野宿する
事もありますが、
自分が行き先を決めて、
自分がお膳立てした
フィールドで、自分が揃えた
限られた道具で、誰かに頼らず、
そこで自立して一晩を過ごす。
不便や恐怖や寂しささえ、
「楽しい」という、
不思議な遊びが、
ソロの野宿やキャンプです。

もちろん普段の生活を
不便な江戸時代に戻せという
話ではありません。
現代社会は、
生活が便利になった分、
猛烈な勢いで、何かが
失われているのも事実です。

寒い冬が無いと、
春の喜びがありません。
災害は困りますが、
人と支えあって生きる
社会の中にあって、
あえて、一人になって
プチ不便を味う事で、
便利な生活のありがたさを
実感して、さらに、
自立や自分軸とは何かを、
振り返る事が出来る
こんな一人時間を
僕は、「楽しい」と感じます。

読者の皆さんに、
良い事が
雪崩のように起きますように。

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ヒロ 月島
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