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家事することは生活の当事者になること。男性たちへ言いたい

前回の記事に、家事の達人になりたいという話を書きました。

それは20代の頃に見た素敵な大人の姿で、
一朝一夕では身につかない、
日々を大切に生きてこそ蓄積される人間力なのだと思います。

家事をすることは、つまり生活することで
そこに男性も女性もありません。
今、目の前に展開される出来事、
あるいは目の前にある住まいの様子に対して
常に当事者であるという意識のことだと思うのです。

5年以上前のこと。
ある撮影現場でランチタイムになり、
ウーバーイーツをとることになりました。
その場にいる編集者の女性やライターの私がテーブルを片づけたり
お皿を準備したりしているなか、
30代半ばくらいの男性カメラマンがただそこに立って
私たちを眺めていたのです。

その男性カメラマンは、にこやかで感じよく
「ここを撮ってください」に素早く対応してくれる
つきあいやすい印象です。

ただ、食事準備は女性のものという意識があったのでしょうか。
それとも食事準備は編集者とライターがすべきもので
カメラマンはしなくていいという判断があったのでしょうか。
食事準備という一点に関しては当事者にあらずの態度を示したのです。
食事においては当事者の態度を示されたのですが。

世の中には分業があります。
得意なこと、苦手なこと、できること、できないこと
いろいろな条件があるので
「すべて自分のことのように取り組みなさい」
なんて言うつもりはありません。

でもね。
断捨離のやましたひでこさんのブログにこんな記事がありました。

ブログでは、やましたさんが中国に行った時の話が話が書かれています。

やましたさんの本『断捨離』は中国でも大人気で
このたび講演会をされたとのこと。
会場には男性の割合が、日本では考えられないほど多かったそうです。

質疑応答では男性からもどんどん手が上がります。
小学生男子からは「お母さんに断捨離をさせるには?」と聞かれ、
高校生男子からは「寮生活で周りの友達に断捨離してもらうには?」と聞かれ。
ほほえましい気持ちになったといいます。

一方、日本で講演会をすれば、会場を埋めるのはほぼ女性。

「日本の男性諸氏は、
断捨離をオンナだけのものだと思っているのかしら、ね。
ウカウカしていると、断捨離を学び実践していて、
どんどん変化している女性たちに置いてきぼりにされてしまいますよ!」

と、やましたさんはブログで叫ばれています。

私も言いたい。
男性たちよ、家事してますか?

家事の当事者になることはつまり、
自分の生活、自分の人生に責任を持っているということ。
その自立したスタンスは周りの人たちに必ずや伝わります。
家族だけでなく、会社や仕事の仲間にもね。
その逆もしかり。

さあ、床の掃除機でもかけましょうか。

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