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神様の近くで_三峯神社・妙法ヶ岳

コロナ感染は思いのほか?想定どおり?心身へそれなりの影響があった。
何より、プラスの感情が(もともと少なめなのに)わかない。
また、頑張りたい、経験を積むチャンスというべき仕事の場面でとても身構えてしまい、意欲的になるどころか不安に感じてしまう。

不安のあまり確認作業が増え、色々気になりだしてキリがない感じがしたり、「きっちりしすぎ」「細かすぎ」な印象を与える、気をつけていても防衛的な態度になっていそう、我ながら嫌な人だなぁと感じたり。まぁそのこと自体はコロナ感染の前から感じていて、なんだか非常に疲れていることはわかっていた。

だから、コロナでダウンした時に、これはデトックスだなと思った。何か手放す必要がありそうだ。
色々と思いあたることが見つかった。自分の思いグセに、自分でがんじがらめになってしまうところが色々とわかった。
その状態に陥っている自分は、ありがたいことがあってもそこに気づけないし感謝できない。
多分、エゴの固まりみたいになっている。

そんな自分をリセットしたい。
視座を広げたい。
大きなものとのつながりを思いだしたい。

大きなもの…それは私にとっては"自然"であり、"神仏(の存在を感じること)"でもある。

大きなものと繋がって、余分な力を抜いて思考を手放した時に感じたり、脳裏に浮かんだりするもの。
それをキャッチしたい。


10月の終わりにぽっかりと平日が空いていた。高尾や丹沢の紅葉にはまだ早いかな。奥多摩はどうかな?当初は雲取山も視野に入れていたが、今は体力だけではなく気力も足りない。
そこで…先日神社仏閣好きの知人の話を聞いてから気になっていた三峯神社⛩️(雲取山の登山口でもある)へ行ってみることにした。


西武秩父から三峯神社行きの急行バスに乗ること1時間20分。高い山々の間をバスは奥へ奥へと入っていく。
徐々に心が緩んでいく。気持ちの良い眠気も感じてきた。

車窓からの景色は…
都民の森(三頭山)へ向かう感じに似ている、と思う。
そして、昨年リトリートに訪問した穂高養生園へ向かう道(=燕岳登山口のある、中房温泉までの道と同じ)とも似ている。ちょうどこんな柔らかい紅葉・黄葉が輝く日だった。
今年の11月の養生園のプログラムは"食養生“というネーミングのようだ。私の時には“デトックスプログラム“だったけど。そんなことを考えながら…散策で歩いた、紅葉が輝く道を思い出していた。
そして、なぜか10年前のコーチングスクール初日に(なんの制限もなかったらどうしたい?の問いから)脳裏に浮かんだ光景も思いだしていた。
そのイメージも森の中。食卓の風景のなかで、ゲストに何やら話をしている私。

“食に関わること”
“リトリート“

私がやりたいこと。
それはこういうことなのだろうか。


ほぼ定刻に、三峯神社のバス停に到着した。
まだ始まりの紅葉が、日の光にキラキラと映える。涼しくて澄んだ空気。
うん、いきなり気持ちがいい。

今日は、三峯神社と、駐車場を挟んで反対側にある奥宮に参拝する予定だ。
奥宮は妙法ヶ岳の山頂にある。そこまでの道は、短い行程ながらも「登山」である。

写真には写っていないが、鳥居をくぐらず右手に進むと雲取山へ向かう
季節柄、熊鈴をガンガン鳴らしながら進む
階段が続き、鎖場を上がって。。。
奥宮
ここから雲取山方面を望む

短い登山とはいえ、小一時間経ったので空腹を感じた。奥宮の階段を数段下がったところに、板張りのちょっとした展望スポットがあったので、そこでおにぎりを食べる。

そう、ここは妙法ヶ岳。

登り始めは、神域ならではの清らかな澄んだ空気感を味わっていたが、いつの間にか、ただ登ることに意識が向いたように思う。特に奥宮手前は急すぎる階段+鎖で、久しぶりに交感神経⤴️モードに。
そして登り切った後に雲取山の方を眺めていると、いつもの山歩きの時と同じように「次はあちらも行ってみたい」という気持ちになっている。

気持ちのいい場所を、ありがたいことに少し独り占めした。でもそろそろ人の気配…登って来られる方もいるのでお暇することに。

もう一度振り返る。飛行機雲と秋の空。いい空気感でした。

鳥居のある分岐まで戻ってきた。
ここから三峯神社へ向かい、参拝しよう。

拝殿。ご祈祷の音がずっと聞こえていました。両脇を杉の巨木が支える
拝殿の背後?に本殿。色づき始めた葉も彩りを添えている
日本武尊銅像

奥宮遥拝殿にも寄ってみる。

右の方に小さく飛び出ているのが奥宮のある妙法ヶ岳。あそこまで行ったんだな〜。
御岳山(奥多摩)の奥の院もまだ未踏。次回は行ってみよう
左を見ると表参道が。当初はここから登ってくるつもりだった。次回はぜひ。

参道を出る時の写真に、白い光の筋が写っていた。
そして、バスを待っている間〜バスで駅に向かう間、ずっと虹🌈(彩雲かな)が見えていた。

神様が見守ってくれるのかな。
そう感じた。

山歩きとしては、今の体力的にはちょうどよい時間だった。一方で、"次"を考えるだけの元気も少しずつ戻ってきているなと感じた。

そして。
新しく始めた仕事について、経験値を上げることはもちろん必要だけど、私がやりたいことは多分それだけじゃない。
そんな気がした。

食養生とリトリート(自分に還る場所・時間)。
心に留めておこう。

食について、薬膳を学ぼうとしたことがあった。
でも、多分今浮かんでいるのはそれとは違う。
“症状“に対する“治療“という感じで捉えたくない。

浄化される、澄んだ状態でいる、元々の生命力が戻る、そんな状態でいるためのもの。養生園の食事は近いかもしれない。
来月、精進料理をいただく予定があるので、その体験も楽しみになってきた。

いつものように、ただの山行記録が書けず、内省こみの記事になった。
私にとっての山歩きはそういうものらしい。笑

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