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エゾハルゼミの大合唱の中を歩く_御前山

今年4月末に訪れた御前山(ごぜんやま)。
カタクリの群生で知られ、春にお花目当ての登山者で賑わう山、という認識だった。
奥多摩湖から出発し、急登で知られる大ブナ尾根を経由して山頂に至るコース。前回初めて登ってみて、かなり歩きごたえがあって大変だったけど良いトレーニングにもなったし、またいつかリピートするんだろうな…と思っていた。

本来は、谷川山系の平標山に初めて登る計画を立てていた。お花たちが全盛期らしい。天気予報も二転三転しながら、ベストの予報☀️に変わった。
ふつうなら迷わずGO!なのに…自分の中で何かが引き留めていた。”ここがゴールじゃないよね、目標は来月だよね”みたいな感じで。

なんだよ、興醒めしちゃうじゃないか…勘弁してよ。と、思う。
多くの人がワクワクしながらバスで登山口に向かう、その光景を想像しながら…
でも、なぜか、今回はやめよう、と思った。

昨年、年内1番の目標登山を控え、トレーニングのつもりの山歩きの途中、蜂か、蜂に酷似した虻かに数カ所刺されたため、その計画を中止してしばらく自粛を余儀なくされた、ということがあった。
”今は、初めてのことをするな”…自分の中の賢者がそう言ったのだ、と解釈することにした。

例によって、累積標高差>1000mを登るつもりだった。ザックには山小屋一泊ぶんの荷物を入れて、自分で修繕した登山靴で。
改めて、行き先は…ふと”御前山にしよう”と頭に浮かんだ。前日のことだった。そして、新幹線をキャンセルした。
もう、後ろ髪を引かれるような気持ちはなかった。

奥多摩湖からスタート

奥多摩湖の湖面は静かだった。
週末なのに、ここから御前山に向かう登山者は数名しかいない。カタクリの季節はもっと多かったのに…

小河内ダムを渡り登山口へ。登山開始からいきなり急登が始まる。前回より重い登山靴とザックの影響かもしれないが、全体的に足取りが重いし、フラつく。
う〜ん、予定の合間をぬって山歩きを重ねているはずなのに、全然楽になっていない。ちょっとショック。
なかなか減らない体重の影響もあるのか…?でも、こんなことでは来月はどうなる?と自分についダメ出しをしてしまう。

写真では傾斜があまり伝わらない。。登りづらい道は写真を撮れていない。

ザレた、根っこの登り道。足をどこに置こうか。グラグラふらつく身体をなんとか立て直しながらしばらく登る。

途中から道の様子が変わってきて、石ゴロゴロではなくなってくる。土と砂の坂道を、黙々と登る。汗がたくさんでてくる…
サス沢山まで、標準コースタイムで1時間半。呼吸と心拍数が上がりすぎそうになる。もうすぐ着くのに…と思いながらも、先は長いので無理は禁物。登り始めて40分くらいしたところで小休憩。そこから20分くらいでサス沢山へ到着。

奥多摩湖が一望できる

先にベンチにおられた、下りの登山者の方に声をかけられた。
「今日はどちらまで?」 「御前山までです」
「鋸山のほうですか?」 「いえいえ(無理💦)」
「ピストンですか?」 「境橋のほうへおります」
…この急登を下るスキルは持ってないのでピストンする気はないが、鋸山までは縦走してみたいところ。いつか。
その方は、ひとしきり自撮りをされた後、軽やかに急斜面を下っていかれた。

さらに森の奥深くへ入っていく。大ブナ尾根は、ごつごつした岩が増えてくるが、いわゆる岩登りはない。

気づいてはいたが、セミのような鳴き声がず〜っと聞こえていた。途絶えることがなく、登るにつれてだんだん大音量になっている。どう考えてもセミっぽいのだが…自分にとっては初めての鳴き声だし、まだ6月だよ⁉︎という気持ちもあった。

とある場所に着いて、その独特の空気感に…写真でなく動画を撮ろうと思った。スマホの動画はここにそのまま貼り付けることができないようで、残念だ。
ひらけている場所だが、周りをぐるっと木々が覆っている。耳にはセミの大合唱(後になって、他の登山者のレポから、エゾハルゼミらしいことを知った)。

Instagramのリールにしてみたので、それを貼ってみる。


Instagramをやっていない方は、よろしければこちらを。

林の中で、この音だけがずっと聞こえている…
異次元に迷い込んだような…なんだか頭がおかしくなりそうな、圧倒されるような感覚があった。実はすでに正規のルートをちょっとだけ外れていたようだ。この数分前に先行者がここを通ったはずなのに、踏み跡があまりなくて、ふかふかしていて…倒木が道を塞いでいる。

でも、前回もたしかここを通ったはずで、今より木々の葉が少なく先も見通せていた。その先で正規ルートに戻ることはできると思い、そのまま進むうちに…右側から正規ルートが合流した。

****************

この時だけではないが、今回の登りの間、前回はあまり感じなかった怖さをなぜかずっと感じていた。
自分よりも早い登山者には早々に道を譲って、姿が見えなくなっているし、何人かの登山者は追い抜いて、これまた姿が見えない。その時間が長かった。

蝉の声が、ずっと気になっていた。

…1人だから怖いのかも
そんな気がした。静かな山歩きが好きなはずなのに。
昨年虫に刺されたその時のことを思い出すから?かもしれないが、よくわからない。

写真ではきつさが伝わらない…

いったんなだらかになった道も、再び勾配がキツくなる。階段もないか荒れているので、ソールをしっかり地面につけないと滑るか倒れそうな感覚がある。でもしっかり足をつけようとすると、アキレス腱を強制的に伸ばされているような、そんな足首の角度になる。
登り続きでちょっと嫌気がさしてきたころ、惣岳山へ到着。

ここには数名の男性パーティがいて、少し賑やか。「さっきの登り、足が攣りそうだったよ」なんて話をしている。小虫がぶんぶん飛んでいるけど全く気にせず(そんな余裕なし??)、どら焼きを頬張る私。
ああ、生き返る…(山での糖質は命の源😆。大げさではなく)

ここから御前山まであと50mほど標高を上げるのみ。もうひと登りだが、きつい登りは大体終わっている。
もう少しだけ負荷を掛けたくて…小河内峠方面へ少し下り、その後登り返してソーヤノ丸デッコまで寄り道した。

春だともっと眺望が得られたんだろうな

惣岳山へ再び戻り、御前山へ向かう。春はまだ木々の葉が生い茂っていなくて、日光を浴びながらカタクリを見つけて歩いた道。今回は涼しい林の中の道になっていた。

山頂
4月末。雰囲気が全然違う
眺望はこんな感じ

長い休憩はその後の歩きに影響してしまうので、20分ほど休憩して下山を始めた。
下山は無理せず、前回と同じ境橋バス停へ。
ここの下り道も、踏み跡はあるのだが、雨水が流れた後かと思うような窪みが複数あって…ちょっと迷いそうになる。前回は時々地図アプリで確認したが、今回は前回のことを覚えているのでそこまで不安はなかった。

高尾のような階段は少ないし、あっても傷んでいるところが多いので、傾斜の段差がないため滑りやすいところがある。そういう場所が私は苦手で一気にスピードが落ちる。まだスキルが足りないな…と思う。

そろそろ下りも飽きてきた?頃、前回出会って印象的だった木に再会した。
前回は学生さんのグループ登山とすれ違いながらだったので向き合う時間が取れなかったが、今回は1人。しばし佇んで、その姿を見つめていた。

はっきりとしたメッセージは受け取ることができなかったが…
豊かさしなやかさ。
そんな感覚があった。
静かだが、か弱いものではなく、ただそこに確信を持って「在る」。
男性的な力強さというよりは、女性的な感じ。

最後にもう一度振り返ってお別れ。改めて写真を見ると…手を振ってくれているような、そんな感じもする。

ここからまもなく、長い長い林道歩きになるのだが(それが嫌いという人も多そう)…途中の沢沿いに癒しスポットがある。

ふかふかの苔
トイレあり

ここでまったりとおやつ休憩をして、長い林道歩きを再開する。

いつの間にか、セミの大合唱は聞こえなくなった。

8時半ごろスタートして、14時前に境橋バス停へ到着。バスの到着まで約30分あるが、ぼーっと奥多摩渓谷の沢の音を聴きながら過ごすことにした。

橋の上から。深い谷が続く

****************

今回の山歩きはなんだったんだろう、という思いが残っている。
単に、楽しかった、というものではない何か。

トレーニング登山という意味では、体幹の不安定さが目立ち、荷物の重さの影響を実感した。あと数週間、やはり筋トレが必要だなと思う。思うけど…苦笑
スクワットなどの下半身のトレーニングは、やりすぎると痛みにつながってしまうので程々に、とは思う。体幹を意識してみようか。
スキルは…まだまだだな。秋には立山縦走もしたいところだがどうかな。

これを書きながら、改めて。
森を歩く、という意味ではどうだろう?と振り返ってみる。
あのセミが大合唱する空間の感覚…なんだったんだろう。
道迷い、というのはこういう感じで起こるのかな、などと思う。

周りの音に…自分を見失いそうな、不安定な感覚。
登りで感じた、体幹がぶれている感覚。


あ、それは…今の自分だ。
今、どういう働き方・生き方を選択しようか迷っている時期でもある。
この迷い、今度こそスルーしない。逃げない。そう感じている。
迷いの中にいる自分。そんな日常と重なった。

そして、下山の時に対面したあの木の佇まい。
森の奥深く。訪れる人は全くいないわけではないが、とても少ない。
そんな静かな場所に、ただそのままで「在る」。
その佇まいに気づくかどうか。そして、好ましく感じるかどうかも…皆同じではない。
前回も、グループ登山の方々が足を止めることなく通り過ぎるなか、1人の登山者がザックを下ろしてあの木を撮影していた。なんだか嬉しくなって、すれ違いざまに“素敵な木ですよね“と声をかけたら、“そうですね”と、パッと笑顔になって返してくれた。

私は、あの木のような存在になりたいのだろうか。
何かのヒントになるような気がした。

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