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忘れたくない雨やどり

昨日の私は、首位攻防戦に敗れた阪神タイガースを甲子園の3塁アルプス席で見守っていた。

0-1での敗戦。
悔しい。死ぬほど。
だけど、この1ゲーム差を詰めたら同率首位…!なんとしても勝たねばならない!という緊張を、一旦手放していいんだなと、少しだけ心が楽になったのだった。選手でもないのに。
本来、上昇志向が果てしなく薄い性根の人間が慣れない感情を抱くのはしんどいのである。
(だけど全く諦めたわけではなく、失うものはねぇ!残り5試合全勝で行くぜ!という謎の開き直りが生まれた。)

両軍ピッチャーが本当に素晴らしく、しょうもないエラーに左右されない、締まりのあるゲームを秋らしい晴天の下で見届けることができ、満足感と清々さが残った。

改めて、野球を観ている間、自分にできることは何かよく分からないものに祈ることと、選手たちに頑張れと心の底から思うこと、それくらいしかないことを実感する。
その極端に限られた、思いを他者に委ねるという行為を全力でできる切実な無力感が好きで、私はこうして球場に来るんだよなと思う。

野球に興味がない人にとって本当に害悪でしかないという自覚はあるが、この時期は(控えめに言ったが、春〜秋、いや年がら年中)脳みその大部分が野球なのだ。

ここ数年、阪神タイガースは優勝しかけたり、ほんまに優勝してしまったりといろいろ大変なことが続いているので、うっかりnoteにも野球への切実な感情を書き連ねてしまっている。

今シーズンの途中「私と読売のゲーム差が5.5だから……」と、ナチュラルに発言し、いよいよこいつは「タイガース」と「私」の境界が曖昧になっているぜと友人をドン引きさせるなどということもあった。
まさに六甲おろしの「輝く我が名ぞ阪神タイガース」を地でゆく狂人なのである。

阪神が負けようが感情がぐちゃぐちゃであろうが、普通に日常は続く。そして金曜の試合まで阪神はお休み。

野球がない今日は、晩ごはん後の時間を持て余して散歩に出た。
涼しくて気持ちよい。

海の方へ歩いていると、雨がポツポツ降り出し、あっという間に本格的な雨模様に。
傘も持たずに出てきたので、仕方なくクリーニング屋の軒先で雨やどり。

30分くらいそうしていたと思う。
特に用事もなく家を出て、特にしっかり歩いたわけでもなく、ただぼんやり雨の様子を眺めている時間が、なんとも言えずかけがえのない時間のように思えて、この時間のことを絶対に忘れたくないと、なぜか強く思った。

雨が弱まったタイミングをみて帰宅し、紙の日記に雨やどりのことを書いたものの、「のきさき」という漢字がなかなか思い出せず、だけどスマホに頼ったら負けという謎の意地から、そのままひらがなで書いた。(後で思い出した)

人生は0-1で負けることばっかりで、だけど逆転優勝を信じて、たまには雨やどりをして、最後まで戦うしかないんだ。

▼2023年9月の阪神と私

▼2021年10月の阪神と私

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