長い長い港から|町田洋『船場センタービルの漫画』
私の心の中のポケットみたいな場所で、ずっと生きている漫画がある。
web漫画サイト「トーチ」に掲載されている船場センタービルの漫画だ。
私はこの漫画が大好きだ。
しんどい時期に救われた、という大袈裟なものではないが、初めて読んだ時から、心の温度を取り戻すカイロのような存在になった。
ビルは、何も語らない。
ビルの中には、さまざまな人の営みがある。
建物としての寡黙さと、人々の息遣いの温度と、流れてきた時間が矛盾することなくこの静謐な漫画の中にひとつの世界として拡がっている。
50年以上、ただそこに建って、無知だったり軽薄だったりする人間たちを受け容れてきた。
このビルの広告漫画として、じゅうぶん過ぎるメッセージだ。
この漫画を読み終える時、ちょっくら違う世界にふわっと行って帰ってきたような奇妙な感覚と、自分の薄い記憶も伴いながら、不思議な多幸感に包まれる。
私はこの場所をよく知っている。
*
この漫画に出会ったのは、ふと、長い長い船場センタービルの端っこがどこなのかを知りたくなり、検索していた時だ。
その頃私は、前職を休職中、作者の町田さんと似た様な体調を抱えながら過ごしていた。
暗闇の真っ只中というよりは、仕事を辞めることを少しずつ自分に許し始めた時だった。
だけど、これからどうして生きていけばいいのか。何も持たない自分ができること、居ていい場所はこの世界にまだあるのか。
はたらくとは。生きるとは。
たまたま用があって訪れた本町で、中央大通をぼんやりする頭で歩きながら、そういえばこのビルってどこで終わるんだっけ、と気になり、検索ついでに見つけたこの漫画を読んだのだった。
そして思い出した。
私のはじめての「はたらく」は、船場から始まったのだった。
高校2年の頃から、吹奏楽部でオーボエ(金がかかる)を続けるために、マクドナルド船場中央店でバイトをしていた。
そのマクドは船場センタービルの道路を挟んで向かい側にあり、いつもビルの壁を見ながらカウンターに立っていた。
ビジネス街のため主なお客は船場センタービルや周辺の会社で働く人々。毎度「コーヒー入れてちょうだい」と水筒を持参するタクシーの運ちゃんなども。
中高生が居座るようなマクドではないし、店長もパートのおばちゃんたちも中国からの留学生のコンくんも皆良い人たちでが居心地が良く、結構長く働いた。
自分が動いてお金を稼ぐ「はたらく主体」となるとともに、お店のメンバーや訪れる客などさまざまな「はたらくおとなたち」と触れる経験となった。
働く中で味わう面白さや理不尽さ。
稼いだお金を学費の足しと自己表現に使うこと。
疲れた帰り道にセブンイレブンで買う飲むヨーグルトの美味しさ。
当時は24時間営業で、夜と昼が分断されることなく連綿と続くことも、何もかもが新鮮だった。
大学3年生のときにお店が閉店することが決まり、船場での私のバイト生活は終わりを迎えたが、最終日の深夜にはこれまで一緒に働いてきたみんなと店の前に集まり、看板の灯りが消えるのを見守った。
「船場」は、かつてそこが船着場だったことに由来している。
今だって、船の往来こそないが、誰かの船出だったり、風待ちだったり、帰港を見守っているのかもしれない。