
人類の退化と乖離(誤字)
生き急いでいる。
忙しい日常生活の中にも余白を作る努力を怠らず、
動画やラジオのアーカイブを絶対に倍速で再生しないことを心に決め、
「過去と未来を切り離して、その時点、その時点で時間が生きてなきゃ」というタモリの教えを心に刻んでいる私も、やっぱり生き急いでいるんだ。
そんなことを実感している。
最近、手書きで文字を書く機会が増えた。
というのも、とある資格講座の修了試験の勉強を短期集中的に行なうこととなり、ひたすら勉強をしていた。
私の学生時代からの必殺勉強法は、何の捻りもなくて恐縮だが、「とにかく書いて覚える」である。
まずは過去問を解き、分からなかった箇所のテキストの単元をノートにひたすら整理していくのだ。その反復だ。アナログ。
学生時代から「集団行動が嫌い」という理由だけで塾や予備校に行かなかった私は、上記の非効率っぽい勉強法と○研ゼミだけで数々の受験を乗り切ってきた。
1人だけの世界で知識や教養を身につけていく行為は嫌いではないので、社会福祉士の国家試験ぶりの「ザ・勉強」に爽快感すら感じていたのだった。
資格が欲しいというより、このアナログの時間が欲しかったと言っても過言ではない。
だが、勉強を進める中で気付いたことがある。
今の私は、めちゃくちゃ誤字が多いのだ。
しかも、それらの誤字には一定の法則があった。
それは、「今」書いている文字を書き終わらないうちから、「次の」文字を書いてしまっているのだ。
具体的には、今書いている漢字の部首の右側に、もう次の漢字を書いてしまう。
例えば、「職業」という言葉を書こうとして、「耳」の隣にすぐ「業」を書いてしまっていたとか。
酷かったのは、「需要」と書く際に「雨」の下に「女」と書いていた。雨女。
こんなことが頻発した。
この現象の要因としては、これまた何の捻りもなくて恐縮だが、やはりpcやスマホで文字を入力することに慣れすぎて、脳みそに手が追いつかないのだ。
いや、そうではない。
脳みそが先を行き過ぎて、手を置いていってしまうのだ。
頭が常にちょっとだけ先へ先へ急いでいる。
そんなことを考えると、知らず知らず、生き方までもそんなふうにちぐはぐになってるのでは…と、ちょっと悲しい気持ちになる。
現代社会を堂々と生きている人たちは、そんなことは気にも留めず、常に一歩先、どころか何歩も先を堂々と生きられるのかもしれないが、
私みたいな半端者は、つんのめって部首だけ書いて残りをうっかり省いてしまい、猫背でしょんぼりしている始末だ。
辛うじて、私の手はまだ人間らしいスピード感覚を保ってる。それだけが救いだ。
そんなことを思いながら文字を書きすぎて黒くなった拳の裏っ側をさすっていた。
(ちなみに、気になって調べたら、掌のこの部分(チョップで攻撃する時に接触する部分)は「掌外沿」というらしい。)
仕事は相変わらず忙しいし、3月の国家試験の本番までは当分ツメツメの毎日だろう。
それを選んでいるのはまさしく自分だから泣き言や不満などは言いたくない。(言うけど)
だけども、そんな日常の中で、自分の脳みそと掌が、ゆっくり和解しあえるような時間を少しでも取ってやりたいと思う。
今週末は、久しぶりに海辺でのんびりパンを食べることにしよう。
無理に進歩はしなくていい。せめて調和だけでも。