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日本の歴史や文化を絵と文章で解説します🔥                       インスタグラムバージョン👇          https://instagram.com/kiwamejapan?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==

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マガジン

  • 日本史名鑑

    日本史にまつわる人物を簡潔に紹介。

  • 武士の進化

    『武士』という生物が、どう誕生し、なぜ絶滅してしまったのかを、絵と文章でわかりやすくご紹介していきます。

  • 日本史用語『絵+』

    日本の歴史、文化にまつわる用語を絵と文章でわかりやすく解説します。

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日本史用語『A+』をkindleで出版しました。

この度、 Amazonが運営する 電子書籍サービスkindleにて 初の書籍 『日本史用語『A+』#1旧石器時代』 を販売開始しました。 amazon.co.jp『日本史用語『A+』#1旧石器時代』 金額は¥600で、 kindleunlimitedに加入されている方は 無料で読むことができます。 内容はnoteやInstagramに 投稿していた用語解説を 加筆修正して 一つにまとめものになります。 日本の歴史文化を 『わかりやすく』 『面白く』 みなさまにお伝えし

    • 朋誠堂喜三二

      朋誠堂喜三二(1735-1813) 久保田藩(秋田県)の上級武士として幕府や他藩との外交を担当するかたわら戯作者や狂歌師として活躍した。教養の高さから生まれる洒落が効いた彼の文章や狂歌は評判となり、蔦屋重三郎の手で書籍化され数々のヒット作を生んだ。

      • 平賀源内

        平賀源内(1728-1780) 下級武士の家に生まれながら家督を妹の婿にゆずり、発明家、戯作者、絵師、コピーライター、イベンターなど多岐にわたる活躍をした。晩年は不遇な時を過ごし、52歳の頃酒の席でのトラブルにより2人を殺傷、その後獄中死している。

        • 鈴木晴信

          鈴木晴信(1725-1770) 可憐で細やかな美人画を得意とした絵師。黒一色、または赤や緑など限られた色で作成されるのが主流だった木版画の世界に、錦絵と呼ばれる7〜8色の多彩な色を用いた最初期の人物。彼が描いた茶屋の娘おせんは庶民でありながらアイドル的人気を博した。

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        日本史用語『A+』をkindleで出版しました。

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        • 日本史名鑑
          9本
        • 武士の進化
          10本
        • 日本史用語『絵+』
          29本

        記事

          菱川師宣

          菱川師宣(1630?-1694) 様々な流派の絵を独学で学び、古典絵画が主流であった時代に当時の流行や風俗を取り扱った作風で一世を風靡した人物。見返り美人図を始めとした作品は浮世絵の原点となり、庶民が絵画に親しむきっかけとなった。 来年の大河ドラマが自分の好きな浮世絵や江戸文化を題材とした話なので、これから関連する人物や用語を紹介していきます!

          武蔵坊弁慶

          武蔵坊弁慶 (不明-1189) 比叡山の悪僧として暴れ回っていたが、五条大橋で源義経に出会って以来、義経の郎党として忠義を尽くし大きな戦力となった。という話が伝わっているが実在したかは不明。 豪快な伝説から庶民に愛された人物で、遺跡だとされる場所も多く、『弁慶の泣き所』や『内弁慶』などの言葉の語源としても使われている。最期は義経が隠れていた堂の前を仁王立ちで守り死去。

          武蔵坊弁慶

          #9『進化とは』〜武士の進化〜

          およそ4万年ほど前に 絶滅したと思われるネアンデルタール人。 しかし、 彼らは完全に 絶滅したわけではなかった。 『えっ、まだ生きているの?』 ネアンデルタール人は ホモ・サピエンスと出会い、 子孫を残し、 その遺伝子は 脈々と受け継がれ、 現在、 一部の人々を除き 世界中の人々が持つ遺伝子の 2〜4%はネアンデルタール人由来の ものとなっている。 また、 ネアンデルタール人から分岐した デニソワ人とも子孫を残し 同程度の遺伝子を受け継いでいることが わかってい

          #9『進化とは』〜武士の進化〜

          宮本武蔵

          宮本武蔵 (1584-1645) 父、祖父、共に十手術の達人で、幼少期から武術をたしなみ13歳の時に新当流の武芸者、有馬喜兵衛を倒した。剣術への探究心が強く、諸国を放浪しながら吉岡一門をはじめ数々の強者たちとの死闘をおこない、剣豪の呼び声高い佐々木小次郎との決闘に勝利し、天下無双の名声を得る。晩年には兵法の道を志す物への指南書『五輪書』を書き残した。

          清少納言

          清少納言 (996?-1025?) 代々、歌人の多い下級貴族の家系で、曽祖父は古今和歌集の代表的な作者の一人。文学の才能が認められ、一条天皇の妃、定子の女房に取り立てられる。この時期に書かれた枕草子は、四季折々の風景や宮中の様子を洗練された情景描写で描き評判となる。定子が出産時に24歳の若さで亡くなってからは宮中を去り、その後の詳細はわかっていない。

          紫式部

          紫式部 (970?-1014?) 藤原北家の系統で下級貴族であった藤原為時の子として生まれる。歌人であった為時の影響から幼少期より漢文を読みこなし、和歌を詠んだ。その才能は周囲に知れ渡り、当時の最高権力者である藤原道長に見込まれ、道長の子であり一条天皇の妃でもある彰子に女房として仕えた。その頃に書いた長編小説『源氏物語』は、おとぎ話が主であった日本の文学において、主人公、光源氏を始め彼と関わる女性たちの心情を写実的に描き評判となる。その後書かれた『紫式部日記』では宮中での出来

          坂本龍馬

          坂本龍馬(1836-1867)土佐藩の郷士(下級武士)の末っ子として生まれ、泣き虫で寝小便の治らない子供であったが、剣術には才があり江戸の千葉道場へ修行へ出かけ、北辰一刀流長刀兵法目録」を受ける。 佐久間象山の私塾で蘭学を学んだり、土佐の絵師、河田小龍から世界の文化や技術、情勢を学ぶ。28歳の時に脱藩してからは勝海舟の弟子となり、浪人という自由な立場を利用し様々な場所へ行き、様々な人々と交流して、薩長同盟や大政奉還に尽力した。近江屋に潜伏していた時に何者かにより暗殺される。

          #8『消えた天才』〜武士の進化〜

          今や総人口は80億を超え 地球上のあらゆる地域に進出し、 自然界で絶対的な存在となった 『ホモ・サピエンス』。 しかし、 かつてサピエンスよりも 身体能力が高く、 知能も高かった⁉︎ 可能性すらある天才がいた。 それが、 ホモ・ネアンデルターレンシスだ。 (通称ネアンデルタール人) 本来なら、 現在彼らが地上の覇者として 君臨していても おかしくないように思えるのだが、、 なぜ我々サピエンスが生き残り、 彼らネアンデルタール人が 絶滅してしまったのか? そこには、

          #8『消えた天才』〜武士の進化〜

          #7 『君の名は。』〜武士の進化〜

          うなるような筋肉。 巨大な獣にも ひるむことなく挑んだ。 その豪快な姿に反して 繊細な感性ももっていた。

          #7 『君の名は。』〜武士の進化〜

          グレートジャーニー

          『グレートジャーニー』とは、 アメリカ大陸を起源とした 新人(ホモ・サピエンス)が、 世界中へ拡散していく様子を表した名称です。 イギリスの考古学者、 ブライアン・フェイガンさんが名付けました。 20万年前ほど前に アフリカ大陸で誕生した新人が、 ユーラシア大陸へ進出し 本格的に世界へ拡散を始めたのは 6万年ほど前のことです。 6万年より前にも ユーラシア大陸へ進出していた グループはいましたが、 7万年ほど前に起こった火山の大噴火が 世界的な気候変動をまねき、 アフリカ

          グレートジャーニー

          相沢忠洋

          『相沢忠洋』さんは 一般の考古学愛好家でありながら、 日本に縄文時代より前の 旧石器時代があったことを証明し、 日本の歴史を塗り替えた人物です。 大正15年、 横笛吹きの芸人である父『忠三郎』さんと、 母『いし』さんの長男として 相沢さんは生まれ、 その後、 妹3人、弟1人、の7人家族となり、 慎ましくも幸せな日々を送りました。 しかし、 ある日ひとつ下の妹が 風邪をこじらせて亡くなってしまい、 それまでの幸せな日常が一変します。 まず、 両親の関係が悪化し母が失踪。

          相沢忠洋

          浜北人

          浜北人は、 静岡県浜松市浜名区(旧浜北区)で見つかった 旧石器時代の人骨につけられた名前です。 旧石器時代の遺跡は 日本全国で一万箇所を超え、 石器は数え切れないほど見つかっていますが、 人骨の発見例は極めて少なく 沖縄県以外の地域では浜北人骨が唯一です。 沖縄県の一部の地域は サンゴ礁由来の地層で有機物が残りやすく、 複数の化石人骨が発見されています。 なぜ浜北人の骨が 現代まで残ることができたのかというと、 それは骨が残された場所が 石灰岩質の地層で、 石灰岩に含ま