【ゲルニカへの道】GUERNICA (1982 ハンガリー映画)
(82ハンガリー) GUERNICA
「原子爆弾は横浜、京都、広島、長崎、小倉と予定地は沢山あった。人口が密集していないと威力の実験にならないからだ。
何故、広島だったか。当日の朝、晴れていたからだ。」
広大な荒地に彫刻を作り続ける男マルトン・バルガーは言う。
彼のインタビューに魅かれたマルギットはバルガーを訪れる。
メディアを通して軍拡競争や民衆を扇動する軍事活動が繰り返される現在自分に何ができるのだろうか。
バルガーは答える「自分もある時期、同じような事を考えていたが、ピカソのゲルニカという絵を見たら、何をすべきか分かったのだ。」
「ゲルニカ」は、1937年、スペインのバスク地方をナチス・ドイツが爆撃し多くの罪なき人々が犠牲になった「ゲルニカ爆撃」のことを知ったピカソが、暴力の不条理や戦争の悲惨を暴き平和を希求して描いたとされてきた。
そこに内在する闘牛、礫、ミノタウロス、アトリエ等のモチーフが如何に、ゲルニカへと展開し、ゲルニカから如何に展開したかを辿ることで、ゲルニカ爆撃という唯一の契機によってではなく、社会的な変動と個人的な生活の中で動いて止まないピカソの心理的テーマの複合体として『ゲルニカ』を見る事ができたらと。
4月26日、ドイツ空軍がスペイン・バスク地方ビスカヤ県にある古都ゲルニカに、3時間にも及ぶ無差別爆撃を行ない、この爆撃は1600人の死者を出し、町は廃墟と化した。当時ゲルニカの男性はほとんど戦闘に出ていたため、街には女性と子どもしかいなかったという。
この大殺戮を知り、ピカソは、その非人道的な破壊行為に猛烈な抗議の意を示すため、悲惨で凶悪な事件をテーマに一気に45枚もの下絵を描き上げ、何度も何度も描き替えを繰り返し1か月でこの作品が完成させたという。
なかなか世に知れ渡る事の無かった「ゲルニカ爆撃」という陰惨な歴史の一遍を感じ、またピカソの「ゲルニカ」という絵が持つ意味を知るうえで貴重な体験をした映画であった。
しかし、終始、軍拡や戦争による虐殺などの残虐性を語りながらも、如何せんストリップ劇場のシーンが多すぎて、有難いのだが 誰かと一緒に観るといった作品ではないのが残念。
個々に観て語り合うというのも相当難しい作品であると思う。