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ex①【ヒッチャー】に見る犯罪心理とカリスマ性、承認欲求ついて考えてみた(最終修正版←今んとこ)

実は先日「プラトーン」について書いていたところ、このバーンズ曹長のもつ雰囲気というか、ちょっと違うのだけど「ヒッチャー」のジョン・ライダーが脳裏に浮かんだ。

久しく好敵手を探し、モンスターと化した自分を殺してくれる存在を探し求めているようにも思えた。

自分に畏怖の念を抱く小動物のような存在でしかなかった、ただの若者を極限まで追い詰め、自分を殺せる存在にまで育て上げているように。

今回取り上げる「ヒッチャー」については高校生の頃にレンタルビデオで借りて、おすぎ(※注1)したビデオテープが擦れるくらい観た作品。

ルトガー・ハウアーという俳優の演じる殺人鬼ジョン・ライダーの醸し出すカリスマ性に憧れ、当時から周囲に対し様々な劣等感を抱いていた私自身のか細いハリガネ虫の精神を補強してくれた、数本のH型鋼のうちの1本だ。

(※注1)一卵性双生児の、おすぎとピーコさん 。
ピーコさんの反対読みでコPー。ビデオを盗んだのではありません。
残留思念が他のテープに宿ってしまう一種のポルターガイスト現象で、
よく起こります。
※先日、ピーコさんの訃報をお伺いしました。ご冥福をお祈りいたします。(10/22追記)

本作の脚本を書いエリック・レッド氏のインタビュー記事や、神出鬼没の殺人鬼を演じたルトガー・ハウアー氏が後年語ったインタビュー記事を目にしたことがあるが、それを踏まえず ひき逃げします。

今回のテーマは、「ヒッチャー」という1本の映画の感想ではなく、ルトガー・ハウアーという俳優の演じる殺人鬼ジョン・ライダーの醸し出すカリスマ性に影響された自分にタスクがあり、「プラトーン」では冷酷に村人を射殺したバーンズ曹長に心底感服していた一部の部下との関係、そして何より先日レビューした「テルレスの青春」の映画感想では軽く流した部分に相当し、非常に重要な心理状態であると感じ、そこらに主眼を置いてみたいと思いました。

※先日、もっちーさんが「ヒッチャー」についての素晴らしい感想を挙げられていたのでお借りいたします。(10/22追記)

そのためどういった局面で問題行動を起こし、それが一部の人に対し強烈なカリスマ性を持つのか考えてみたい。

映画では男の素性は明かされなかったが、おそらくは戦争などで沢山の死の経験を積み、何らかの悟りを得てしまった男が社会での存在を示せず誰にも自分の持つ潜在能力の凄さに気づかれることのない状況にウンザリしてしまったのか・・・
自分に慄き畏怖する青年に かつての自分を重ねたのかは分からない。

ただ言えるのは、ライダー、バーンズの二人とも、最初っから冷酷で残酷なタフガイではなかったはず。


残酷といえば虫を無残に引きちぎったりする子供が浮かんだりするが、子供は残酷な生き物と言うより、ただ知らないだけであって、これからの教育や成長するに従って命の大切さなどを学んでいくのだと思う。

子供や赤ちゃんは極めて弱い生き物。

だから愛らしい姿で弱さをアピールし、親や、周りの大人たちに可愛がってもらわなければ生きていけない。
実はこの弱さと愛らしさこそが最大の武器なのだ。
赤ちゃんがいるとどんなガンコじじババでもデレデレになる。

最初の子は、親や家族の愛情を一身に浴びる時期があって比較的のんびり育つ。が、二番目の子はその時期がない。
上の子がいるから・・。

生き残るために上の子のマネをして少しでも早く成長しないとならない。
そしてライバルでもある上の子より多く注目を浴びるために、より甘えたり、ヤンチャして自分の存在を強くアピールしなければならない。

2番目、3番目の子ってヤンチャが多い気がするのはそのためか・・?
既にその時点から生存競争が始まっているみたいだ。

そしてこの時点でとんでもない殺人鬼とかは存在しない。
(ダミアン君や、悪魔の赤ちゃんの事は放っておいてください‥)

優等生、人格者として注目や尊敬される人たち


そして年齢を重ねていけば、大勢の他人の中で、少しずつ自分の生きる場所を探していくことになる。
後述するが、人間は一人では生きていけないヨワい生き物だからだ・・

その中で、人間社会の共同体の中で他者に認められ、何らかの地位を得られたのであれば、そこに居場所を見出すことが出来るのだろう。
まずは、勉強のできる優等生や人格者として注目や尊敬される人たちで、「プラトーン」ではエリアス、「テルレスの青春」では、主人公のテルレスが該当すると思われる。

不良、ツッパリとして一目を置かれ自身の居場所が確保。


もし、自分が努力したり、良い行いをしたにも係わらず、誰にも認められなければ、何らかの問題を起こしてでも目立つことで他者に存在を示そうとする。

いわゆる不良、ツッパリとして一目を置かれ自身の居場所が確保できる。
「ビーバップ・ハイスクール」や、ジャイアン、最近では何だ?まあヤンゾーの世界観だろうか。
「テルレスの青春」では、他のクラスメイトの金をくすねた ホラ吹きバジーニと、彼を私刑で罰する二人のリーダー的存在のうちの一人、暴力的な手法で徹底的に痛めつけるライティングという男がこのタイプであろう。

社会や一般的な価値観への「反抗」で居場所を確保。


そのツッパリや悪童にもなれず居場所を見出せずにいたならば、次はその社会に向けて攻撃的になる。
誰にも服従することなく挑発を行い、社会に向けて戦いを挑み、その戦いに勝利することで自らの尊厳を保とうとするのではないだろうか。

所詮人の価値観なんて主観に過ぎず、過ぎたるものは反転さえしかねない言わば表裏一体の事象でしかない。善も悪も その立ち位置による事がある。

右も、左も無い。あるのはウラかオモテかのみ。ウラ、オモテそれぞれのネトウヨだらけだ。ウラもオモテも、どっちみち同じ10円玉だ‥ 
まるで日本の政治について言っているようだが、そうではない。西側諸国について言っておる‥。】

ちょっと混信した・・。

オモテから見れば、いわゆる社会や一般的な価値観への「反抗」であって、その中でちょっとしたカリスマ性を持つ者もいる。
「テルレスの青春」では、金をくすねた ホラ吹きバジーニを罰する二人のリーダー的存在のもう一人、バイネベルクが該当するであろう。彼の残酷さは、ライティングほど直接的な暴力でなく、知的なものに訴える。
精神と学問的興味と言う美しい装いのもとに執行され、周囲をも巻き込む洗脳的な支配で、バジーニの存在価値をも徹底的に否定するので危険である。
嘗てのナチスであったり、サリン事件を起こす前のカルト集団であったりもする。
世間の価値観をひっくり返すという意味では、ハリー・ライムや、バットマンの宿敵ジョーカーのような存在ではないだろうか。

第三の男 ハリー・ライム


その社会全体や、個人に向けて「復讐」で居場所を確保。


その社会で賞賛もされず、不良としても認められず、自らの尊厳を懸け権力を奪う闘いに敗北、もしくは闘うことすら出来ない場合はどうだろうか・・。

おそらく次はその社会全体や、個人に向けて「復讐」を始めるのだろう。
正面切って社会に向けて戦いを挑み、その戦いに勝利することで自らの尊厳を保とうとするのであれば、英雄視される可能性もあるが、そうではなく
ひたすら相手に嫌がらせをし復讐する。
憎まれる事によって自分の存在を示そうとする「ストーカー」のような存在。受け入れてもらえないなら、相手の憎しみや嫌悪の中に自分の存在を認めさせ後悔させてやりたい。
フラれた腹いせであったり、個人に向けた激しい嫉妬、誹謗中傷であったり、そのキッカケや復讐の形態や規模は様々。
「危険な情事」のアレックスなどがその代表例かな‥

社会に向けては、映画やドラマに登場する愉快犯的な殺人犯や、通り魔といった類の人だろうか。
地下鉄サリン事件等を起こしたカルト集団
実在したゾディアックやその模倣のスコルピオ
「セブン」のジョン・ドゥ
ハンニバル・レクターバッファロー・ビル
ジグソウ
もこの類になるのかな・・・?

「ヒッチャー」のジョン・ライダーも一見この類かと思われるが少し違う。否、全く違う気がする。


実は、「良い子」、「ツッパリ」も「反抗」も「復讐」までの段階は、社会の中で、他人から特別な存在として認められたいという「承認欲求」に端を発するものであって、その共同体という社会の中で自分の居場所を探しているに過ぎないのではないかと思える。

他人との係わりを避け、引きこもってしまうのも「心の病気」として思い込んだ一種の意図しない復讐の場合もあるのだろうが、専門家ではないので深堀り出来ない。
少なくとも、その親や家族はその対応に考え苦しむことになる。
私の母も昨年、祖母を亡くしたのを皮切りに180度性格が変わり、外出できなくなったので困惑している。
もはや、そこにしか自分の存在場所を見出せないのかもしれない。
(祖母と母については、明確に違う別の理由を疑っているのであるが、今は触れまい。)

あのレクター博士や、ジグソウよりヤバイ 

最終段階・・



そして人間社会における自分の存在価値を見出せる場所が、価値観を覆す「反抗」でも、社会を恐怖に陥れる犯罪者にもなれなかった場合、恐ろしすぎる最終段階に入ってしまうようだ・・・

あのレクター博士や、あの ジグソウよりヤバイ 最終段階・・

(((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル


それは、「無能の証明」「赤ちゃん戻り(造語)だ。( ;∀;)
のび太君みたいにドラえもんに頼れるならまだ救いがあるのだが、自ら何も出来ないと思い込み、実際何も出来なく、それが常態化している。

他人に世話してもらうことでその存在価値を見出せ、そこにしか居場所のない いわば、赤ちゃんみたいな存在だ。
昔は赤ちゃんとして皆の寵愛を一身に受けチヤホヤされた成功体験があって、もはや自立など考えもせず自分の居場所をココに見出したならお終いだ・・ 
どうかやる気を出して2週目でヤンキーの1番舎弟(自称)のノブオ君くらいは目指してほしい。
たまに政治家とか、官僚とか高学歴の人が、赤ちゃんプレイにハマっちゃって困ってしまうのだが、あれはただの変態・・じゃなくて、それなりの競争があるのかな・・。

本物の赤ちゃんであれば大人も癒されるが、「ザ・ベイビー」のようなオトナの赤ちゃんであれば嫌される。

私もココの住民でいいや・・。

ウソだけど・・。

ちなみに普段から、「やる気のないアピール」や「自分は無知で無能」、「ダルイ、面倒くさい」アピールしている人もよく見かけるが、ココの住民さんではないと思う。①か②の人たちがココでバブーいっとる。
あなたたちは出来る人や‥。
疲れて休んでる人たちだと思う。

働きアリの法則 
上位2割(ガンバルマン):中間6割(従うヤツ):下位2割(さぼってるヤツ)の認識が間違っているのだ。

働きアリの場合の、下位2割(さぼってるヤツ)は、少し前の(ガンバルマン)なのだ。むちゃくちゃ頑張ったので休んどる。
次の従ってたヤツらから2割ほどがガンバルマンに繰り上がり、さぼってたヤツらも疲労回復し、中間6割に入って働く。これを繰り返す。

人間は・・・
上位2割(ガンバルマン):中間6割(従うヤツ):下位2割(従わないヤツ) 下位の2割は(従わないヤツ)であって、ほとんど協力出来ないか、してくれないよね・・。
(通常働ける環境にある人を対象として。病傷者除く)

ザ・ベイビー(1972)


人間は本来弱い生き物で、決して一人で生きていくことなど出来ない


人間は本来弱い生き物で、決して一人で生きていくことなど出来ないのである。群れをなし、共同体のなかで自分の居場所を探しながら、他人と共存していく。

あまりに他人の眼(自分への評価)を気にしすぎ、他人から認めてもらう事を願うあまり、他人の要望に沿って生き、もはや素の自分というものを出せなくなっている人も多いように感じる。
それを大人というのか、紳士淑女なる振舞いとして美談とする社会であればイカレてる。
もはや自分はいないも同然で、その中で沈黙した日には、誰も助けに来てくれない。
これは興味深い現象だ。一見仲良く平穏な横社会のように見えるが、一枚めくれば熾烈な競争原理が働く縦の社会であって、お互いを刺激しないかわりに自分の隠し持つ劣等感を悟られないよう居場所を確保しているだけのように見える。
弱っている人を助けるのは得意であるが、意識なく倒れた人に対してはただの傍観者となるほど、希薄な関係ならば その社会は砂上の楼閣でしかなく長続きしないだろう。一人が、かけよれば どうにかなるかも知れない。
その最初の一人になりたいものだ。

他人の眼が気になって、ピエロのような道化を演じ場合によっては成りきるしか自身のアピール出来ないのであれば、もはや本来の自分の人生を生きているとは言えないフォリ ア ドゥではないだろうか。

誰しもが何らかの仮面をつけ、自分にウソをつきながら生きている。


しかし、それを必要としない人たち

バーンズやライダーは、それを必要としない存在にみえる。
すなわち、完全に自分を自らの尺度で承認しているので他人にどう思われようが関係がない。他人の眼も評価も気にならない(フルチンで歩けとは言わない)から、照れ隠しの仮面をつける必要がなく、自分自身の人生を生きているようだ。

ただしこの2人には決定的な違いがある。

過去に7回も銃弾を食らいながらも生還したことから、「不死身」と呼ばれる一見冷酷なカリスマ性を持ち合わせるバーンズ曹長。

その過去を物語るかのように、彼の顔には大きな傷跡があり、一見冷酷で「殺すか殺されるか」が戦場のたった一つの真理であり、その真理の前には「理想」や「正義」というものは偽善でしかないという事を実弾と敵味方の肉片の飛び交う戦場で覚った男のように思える。
我々、日本人からみたら、命を軽視し善悪の壁をも容易に越えてしまう冷血漢にさえ見える。
だが、その実は軍隊の誰よりも、部下や味方兵士を死なせたくないという強い理念の持ち主であり、誰よりも保守的な思想を持ち合わせている。

戦争という過酷な現実において軍隊という運命共同体に属し、誰よりも軍隊としての機能の維持ともいえる命令系統の秩序というものを護ることが、部下や味方兵士の命を護るという自分の使命、しいては自分の命を護ることにに直結する。それを護るためには善悪の壁を越えることも厭わないという 自分軸の中に生きながら、実は一番最初の優等生や人格者として注目や尊敬される人たち、エリアスや「テルレスの青春」の主人公テルレスと同じ位置づけに相当する気がしてきた‥
たしかに地獄のような戦場であれば、この上なく頼もしい存在であることに違いない。


片や、理由なき殺人や犯罪を繰り返す、いわゆるモンスターのような存在になってしまった殺人鬼。

一家惨殺、子供まで殺害し、ただ知り合った若者の青年へ異様なまでの粘着を繰り返し、女性をトラックで引き裂いて殺害するなど、あまりに愚劣で憎むべき犯罪者であるだけの男。で、あるのに何だろう。
憎まれる事によって自分の存在を示そうとする「ストーカー」のような行動に終始しながら、社会に自分の存在や居場所を一切求めているような気配が無い。ただ、自制の利かなくなった猟奇性的嗜好や殺戮を止める存在をもとめて彷徨うモンスター。ただ、死に場を求めているようでもある。
犬死にするなら警察や刑罰による処刑ではなく、自分が精神的に追い詰め「男」として育て上げたヤツに殺されたいといった 一種の芸術家にも似たプライドのようなものを感じさせる。

他に類を見ない特異な存在であって、強いては、レプリカントのリーダーのロイ・バディか。仲間や家族をも失い絶望の淵に砂漠を彷徨うマックスか‥

まるで血を流すターミネーターのようでもあり、その風貌からも得体のしれない強烈なカリスマ性さえ感じてしまった。

イメージだけで挙げました
やってる事はジェイソンやマイケルと一緒なんですけどね('◇')ゞ


闘った者にしか理解しえないものがある。

だが、闘わずして過ぎたるに越したことはない。

誰しもが苦労なんてしたくないし・・

所詮は・・・ 他人。

ひとごとよ。

虎穴に入らずんば虎子を得ず 

べつにトラの子いらねーし。(ΦωΦ)



<以下余談>


冒頭で、ルトガー・ハウアー氏が後年語ったインタビュー記事を目にしたことがあるが、それを踏まえず ひき逃げします。と、言いましたが、踏まえたうえで、ひき逃げした部分

嘗てのインタビューにて「ライダーという役を演じる際にイメージしたのは、グリム童話の「こわがることをおぼえるために旅にでた男」という物語だった。」と答えているのだが、この童話に登場する「男」は結局のところ、最後まで怖がることが出来なかった。
絞首刑になった者たちの幽霊とともに一晩を過ごし、次々と化猫に襲われたり、亡くなった者と同じベッドで寝たり、挑戦した者が恐怖のあまり死んでしまったことばかり経験しても、恐怖という感覚が分からなかった。
逆説的には、この若者に打ち負かされた犬猫や、脅かそうとした老人にとっては、この男が最も怖い存在だったということになりそうであるが‥。
また、「砂漠に起きた砂嵐の如く突然現れるゴーストのようなイメージがあって、漠然としたライダーの背景をイメージした」とも答えてはいるが、四半世紀も経ってのインタビューなので、何らかの尾ひれもついているかも知れない。
このインタビュー後に語られるようになったのが、主人公のジム・ハルジーという青年は冒頭で死神のジョン・ライダーに殺されており、死後の世界でジョン・ライダーにつき纏われるといったシックス・センス的な説ですが、これはないかな…と思っています。

上記以外の情報の少なさから、勝手な推論に繋がるのであるが、妙なカリスマ性さえ感じる雰囲気を醸し出している背景には、「ブレードランナー」(82)でルトガー・ハウアーという俳優が演じたレプリカントのリーダー、ロイ・バティーのイメージそのままで、ジョン・ライダーを演じたのではないかと思っております。

ブレードランナー (82)

「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。
タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように・・・。死ぬ時が来た・・・」という有名なセリフを吐きそうでもある。

レプリカントのリーダー、ロイ・バティー

ちなみに、「ヒッチャー」の続編も、リメイク版も、私の中では、無かったことになってます。(^_-)-☆

ヒッチャー

The Hitcher (1986)
監督ロバート・ハーモン
脚本エリック・レッド

出演者
C・トーマス・ハウエル
ルトガー・ハウアー
ジェニファー・ジェイソン・リー (ヴィック・モローの娘さんですね)





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