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坂口恭平著「自己否定をやめるための100日間ドリル」

自己否定とは
死にたい、と思うほど悩んでしまった時、必要なのは、ゆっくり休むことです。
死にたい、とはどういう状態かといいますと、
「自己否定が最高潮に達している状態」なのです。
死にたい人の多くはこんなふうに自己否定をしています。
「お前みたいな無価値な人間は、この世からいなくなればいい」

「お前みたいな無価値な人間は、この世からいなくなればいい」と誰かあなた以外の実在する人に言ったことがありますか?
答えはすべての人が「NO」でした。
嫌いな人にですら言ったことがありません。それなのに、自分自身には毎日言っているのです。
少し変だと思いませんか?

あなたはどんなふうに自分を否定していますか?
それをできるだけ細かく書き出してみましょう。
書き出した自己否定に対して、
一つずつはっきりと反論する。
「自己否定とは一つとして正しいものはなく、すべて間違いである」
意地悪に自分を見ている。
はっきり言うと、それはもう「いじめ」です。
常に自分自身をいじめているのです。

まずは自己否定を書き出してみる、
そして、それに反論をしていく。

自己否定が止まらない時は、昔罵倒された「私」が助けてと呼んでいる時である、と。
自分で無能力だと自覚していること、そして関心のないことに関しては自己否定しません。(野球選手になれる能力がないことなど)
自分が頑張ろうとしていることを自己否定してしまうんです。

あなたを否定するのは誰か?
具体的な「誰か」から私たちは否定することを学んだのです。
自己否定はあくまで自分の問題です。
他者の問題ではないのです。
そうやって傷ついたあなたを今、
想像の世界の中で、どんどん守っていきましょう。

葛藤こそが、自己否定の真の目的
自己否定を待つようになると、
自己否定をしなくなります。
明かりをオフにする自己否定と、迷子になれる葛藤。
明かりをオンにする自己否定をやめると部屋が明るくなったさびしさに気づく。
私は「さびしさ」を感じると、その瞬間に「さびしさを感じている自分自身」を
「否定」するようになりました。
これが「自己否定」なのです。
さびしい時には、さびしさを感じた時に、その瞬間に、さびしい、と口にすることです。
命をかけて、この幼少期に感じたさびしさを自分で徹底的に癒してあげましょう。
自己否定したくなった瞬間に、幼少期の「私」に会いに行こうとすると、いろんな感情に気づけるようになってきます。
一人でいる時は一人ではないのです。
一人でいる時は、いつもずっと隣に
幼少期の「私」がいるんです。
私はいつも常に二人なのです。
もうさびしいのを我慢する必要はありません。
これからはもう、自己否定はしません。
本当は何がしたいのか、毎日、一人になって、
つまり二人きりで、いつも聞いてあげてください。

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