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あるくとさんぽになり

身軽にお散歩出来る季節になってきた。
今日は「歩く」をやってみよう。
ジャケットなしのパーカーだけで。なんて楽チンなんだろう!

いつもは食材買い出しついでにお散歩することが多くて、そうするとルートが限られてしまう。だから今日は「歩く」を目的で。
私が「歩く」をやる時は、文字通り「歩く」。お散歩ではあるのだけど、「歩いている」ことを意識して身体を運ぶ。足が地面に着いてる感じ、離れる感じ、膝がまえに出る感じ、腰周りが自然と動く感じ、それらを意識して感じながら「歩く」。これやると「今日は足首ちょっと固いな」とか「膝の動きが調子いい」とか身体の部位の感覚がよく分かる。意識がそこへ向くのに慣れたら、地球と繋がってるイメージもして、びよんびよんと繋がりながら呼吸も地球と合わせるイメージで歩いてみる。頭のてっぺんからお陽さまの光と一緒に空気を吸い込んで自分の身体を通して地球へ流しながら歩く。身体というのは面白いもんで、何回か意識して身体を使うと、その後も勝手にそのまま動いてくれる。始めだけ開始のサポートしてしてリズムを作ってあげる。座禅やる時のスウソクカン(漢字忘れた)からの応用。
この状態で丹田辺りに意識向けてただ歩いていると、そのうち周りの景色がただの模様となる。バーチャルの世界のようになり、自分は同じ位置でただ歩く仕草をしてるだけで、周りの風景が自分の方へ向かってくる感覚になったりもする。前からポストがやって来て自分の横を通り過ぎ去っていくみたいな、そんな感じ。

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ありがたい事に我が家の廻りは360度お散歩するには楽しい場所。範囲が広すぎて、お買い物目的でない時は「どっち方面」と決めて出かける。今日は「右方面」。なぜか左方面は今日は気が向かない。途中で疲れちゃったらバスでも乗ればいいやくらいのお気軽で「どこまで行くのかな」と無計画にお任せする。
普段あまり行かない方向へ進んだもんだから、目がキョロキョロまわりを楽しむ。ありゃりゃと意識をまた身体に戻してゆっくり歩く。

気が付くと坂をのぼりきり違う路線の駅近く。ハタと思い出す。「あ、この近くの神社に来ようと思ってたんだっけ」。
今年は自分の住まいを中心に三角形で結ぶ近くの神社を詣でようと思っていて、確か1月中に2つまでは行ったのだけど最後のひとつをすっかり忘れていた。
おー、良かった良かった。本気で忘れてたわ。ありがたいことに人もほとんどなく、ゆっくり参拝させて貰えた。


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もうちょい体力持ちそうだなと、さてどうするか。ここでまたハタと思い出す。「以前もう一度来たいと思ってたパスタ屋ここら辺だったよなぁ」。2年くらい前に知り合いに連れてきて貰ったお店のパスタが美味しくて、そのうちまた来ようと思ってたんだっけ。大通り沿いだったから何となくは覚えていて神社から程近い場所に店を発見。ホントは最近またグルテンを控え目にしてるのでパスタとかは殆んど食べてないのだけど、なんたってパスタ屋だからね。たぶんもう来ないだろうしなあと、そのお店でランチ。やっぱりそこのパスタは美味しく、お店の方も以前と変わらずとてもよい感じ。うん、久方ぶりのパスタが美味しいお店でよかった。

体力も回復したところで戻ることに。お店出てから「あー、これも古いわたしの終活かー」と気が付く。今月は「古いわたしの終活月間」としている。忘れてたとはいえ、以前やりたかったこと・やろうと思っていてやってなかった事を消化することが出来たのね。よかった、よかった。お任せサイコーだな、おい。

戻りのコースは別の道から。
結構な遠回りなのだけど、ふだん歩かない道はやっぱり面白い。あ。すっかり身体へ意識向けて「歩く」のはスッ飛んでるな。まあいいや。
テクテク歩いてると、ふと壁側の空気感が急に軽くなる。「?」と思い立ち止まると、壁の内側はお寺さん。そこの壁際に生い茂ってる樹がめちゃくちゃ気持ちいい。「うぉー、なんだキミは。すごいですなぁ」と見上げつつ背伸びして中を覗くとあっちに見える樹も気持ち良さそうだなぁ。入ろうかしらと思ったのだけど結構大きなお寺さんで、ずっと壁が続いている。うーむ、また今度!と歩き出すと、一軒こえた次のお寺さんから見える樹も良さげじゃないか~。脇道ヒョイと入って壁越しにその樹の近くへ。うっひゃーここも凄い~。直接触らなくても充分気持ちよいものが辺りに充満してる。しばしボーッとエネルギーチャージ。


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お寺さんとか神社とか、ものすごく気持ちいい樹があることが多い。そういう樹は近くにいるだけで癒されるし回復させてくれる。どこぞやの樹齢数百年の樹がある神社は、周りにしめ縄してあるもっと外側からでも充分過ぎるほど辺り一面すっごいリラックスエネルギーでみちていて、枝木が覆い被さる下まで来ると、もう何処かへ飛んでいけそうだった。そういう樹は直接さわれる所はあまりないのだけど、もし触れたら瞬間移動でも出来ちゃうんじゃないかしら。
公園でも神社でもまあどこでもいいのだけど、なんかここ気持ちいいなーと感じる樹があったら、近くに行ったり触ってみたりするといいと思う。植物のチカラはすごいから、側にいてボーッとするだけで自然のエネルギーでクリーニングしてくれる。あ。帰るときはちゃんとお礼言ってね。言わんでも大丈夫だけど、気持ちを現すと植物もヨロコブから。


見慣れた風景が現れるようになり、ついでにいつもの神社へ。とっても人が多かったので今日は通り過ぎるだけ。本殿真正面に遠くから立ち、3つめの神社へお参りしてきた事だけご報告。

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この前来た時とは違う桜も満開で

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ツツジもとても綺麗で

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春があちらこちらでそれぞれの趣で
輝いていた。


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やっぱりホーム感のあるここは好きなんだよなぁー。通り過ぎるだけでも落ち着く。

そうだ、週末だけお花置いてるあそこでお花買っていこう。お食事もとても美味しいのだけど、土日はいつも混んでいるので殆んど寄らない。でもお店の雰囲気そのものの素敵なお花が週末だけ売ってる。立ち寄るとやっぱりお忙しそうで、どれにしようか眺めながらちょっと待ってみる。我が家に迎え入れる子達を決めた頃「バタついててごめんねー」と声がかかり、待たせたお詫びにと1本オマケで付けてくれたお花が買おうか迷ったやつだったのでウレシくなる。

そのお店のちょっと先に、少し前にopenしている雑貨屋さんがある。そこのオーナーさんは以前あった店でちょっとだけお話させて頂いた事があり、無事open出来て良かったなあと思いつつまだご挨拶できないでいた。丁度お客さんも少なめだったので立ち寄ってみる。
ものすごくその方らしい素敵な空間が現れていた。よくここまでこの空気感創れるなぁと思うくらいの心地好さ。以前入っていた店も来たことがあるけど、まるっきし別空間になっていた。狭いスペースにありがちな「いらっしゃいませ」の圧迫感が全くなく、限られたアイテムのそれらはどれもその店に合うものばかり。違うジャンルも多いのに何故か雑貨屋特有のバラツキが感じられない。ほんと、不思議。
しばらくボケーっと店内楽しんでいたら、オーナーさんが覚えていて下さったらしく声を掛けてくれた。
ちょうどお客様も切れたので、来てみて思い感じたことをそのままお伝えする。これは私よくやる。初めてのお店でも何でも、いいなーとか凄いなーとか感じたことは、感じたままをお店の人に伝えることが多い。
程なく次のお客様が来たので「また来まーす」と後にする。

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今日は何だか不思議なお散歩だったなあ。あ、始めは「歩く」だったけど。
「歩いて」たら、行きたかった場所に辿り着けて食べたかった物が食べれて、お話しできたらいいなと思ってた人とお話しできて。オウチ戻ってひと息つけば、目の前にはおまけ付きでパワーアップされた好みのお花があって。
更には1人のヒトというものが創り出す空間のすごさを感じさせて貰えて。
その人固有の特質エネルギーパワーってほんと凄いのね。独特の空間を創れちゃうの。その人自身が作った物でなくても、その場全部がその人のオトを奏でてるの。

これって、その方が特別だった訳でなく、たぶん誰でもやっている事なんだと思う。個人の店ということでそれが特に感じやすかっただけの事で。自分の部屋を持っているのならば、そこはそういう空間になっているだろうし。
ただ今日感じたのは、あそこまでの場を創るのには、やっぱり自分の好み(感覚)に合うものを選び、ちょっとした違和感があるものは置かないってことをちゃんとしないとなーってことで。逆に言えば、今の自分に合わないなーと感じるものは外していけば、家でもあの空間に近いものを創れるんだろなと。家に戻って妙なガチャつき感を感じた私は思ったわけです、はい。

別に一気に変えようとは思わないけど、せっかく「家でも出来るかも」と感じられたから、少しずつでも自分好みの心地よい空間を広げたいなと思う。だいたいガチャつかせてるのは捨てるに捨てられない昔のものだったりするからねー。自分でガチャつき感じてるんだから、もう合ってないって分かってるんだけど(笑)。棄てるメンドクササが勝ってしまっているんだなー。いやはや。ま、古いわたしの終活月間としたのだから、ちょっとやってみようかなー。

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たくさん歩いて疲れ具合もちょうどいい。
お風呂にゆっくり浸かって身体休めるとしよう。


今日も不思議な愉しい日だった。

目か覚めたら
たぶんまた
「愉しい」が待っている。


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kitoma
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