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おわりにーーこの時代に夢を語るということ

今回取材に協力してくださった5人は、それぞれ現実が何なのか自分たちなりに解釈した上で、夢に向かって生きている。けれどほとんどの場合、“自分の生き方”を決める前には「葛藤」があった。

欲望に従って生きることは、心の平穏を失うリスクも高い。経済的な安定だけでなく、大事にしてきたプライド、異性からの扱われ方、家族との軋轢というようなパーソナルな問題に直面し続ける。自分の守り方がわかり始めてくるこの年齢にもなれば、それが言葉以上のダメージになると想像することは容易い。しかしそれでも夢を追いかける。そんな彼らのハングリー精神には「自分の人生を掴みたいという欲望」と「未来を諦めたくないという執着」が裏打ちされている。

勝てるところにいくという人も、やりたいことを貫こうとする人も、いざとなったら敗者になる覚悟があるのだと思う。たとえ負けることがあっても、自分の人生はきっとそう悪くはないとどこかで信じているのではないだろうか。それ次第で出来ること/出来ないことは明確に分かれるのかもしれない。

そんなことを言う私はどうなのかといえば、彼らほど堂々と生きているかはわからない。実のところ少し前までは同世代のキャリアや夢に関する話は苦手だった。

自分と年齢の近い人たちが社会で活躍している姿をみかけると、自分だけがいつまでも「大人」という服をただ着せられているだけの子どもみたいで苦しかった。大人なんて誰でもなれる……いや、誰もがならなければならないものだと思っていたはずなのに、このごろは大人になっていく友人がとにかく眩しくみえて、自分とはかけ離れた世界にいるようにしか思えなかった。

そんな私が明瞭なビジョンを掲げて生きる同世代の彼らに話を聞きたいと思ったのは、はじめに書いたように友人の存在が大きい。けれど、何も躊躇せずに取材ができたのはなぜか考えると、私自身が自分の人生をどうにか手に入れようとするなかで、それがいかにあらゆる苦労が強いられることか気づいたからだった。そしてそうしたなかで、若さを失いかけた年齢になっても「やりたいことのためになら大事なものを賭けてもいい」と夢を語れる人たちだっていることを伝えたいという思いが、奥底で沸々としていたのだと思う。30歳も近づいてくるとどこへいってもこの社会を攻略するためのリアリズムばかりで、なんだかすごくつまらなくて、息が詰まるような気持ちでいたから。

ショッキングなニュースが毎日のように流れてとても浮かれてなんていられない時代に、自分たちの将来や夢や欲望について語り合うことは(少なくとも私にとっては)薄暗い世界に明かりをともすようなことなのかもしれないと最近よく考える。自分たちの未来が当たり前にあるということも、夢を目指すことも、欲望を満たしたいという思いも、いつか贅沢で口に出してはいけないものになってしまうような気がして、私は怖い。悲惨な現状をきちんと伝えることもなくてはならないけれど、夢や希望を感じられなくなれば生きていることが心細くなる。

だから明るい方に向かおうとしている(もしくは向かうことを諦めていない)彼らの話は、頼もしくてこちらに勇気をくれるようだった。

この社会を丸ごと受け入れて、この状況が変わらないのであれば生活を社会に合わせるしかないと考えることにだってもちろん切実さがある。ただ、どうしても思ってしまう。もし現実に押し潰されそうになったとき、自分を救ってくれるのは諦念ではなく夢なのではないかと。

なんて。そんなことは理想主義者の戯言にしか聞こえないだろうか。おそらく私はかつて少女たちが「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」なんて叫んでいた時代があったことを忘れられないのかもしれない。だからほんの少しぐらいは「未来は当たり前に明るいのだ」と堂々と言える何かがあってもいいのではないか、そんなことを思ってしまうのだろう。そして今、5人の話を聞いてより強くそう感じている。


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